メモ

生命の畏敬のないところに教育は存在しない

----- 生命受難は政治の上から降りかかろうと、経済の上から降りかかろうと、その根は同じものではないかと思われて仕方ありません。かつて林竹二先生は教育の成り立ちにふれて、生命の畏敬のないところに教育は存在しないと言われました。 このことは教育に…

人間の寸法

----- 橋を見て、思いのほかきれいなもんやなぁと、クルーのひとりが言いました。 そんな人工美がないとはいえないけれど、私はそんなことより、地球から生えてきたものと、どんなに計算され強度を持ったものであっても人が作って地球の上に置いたものとの差…

いまの世の中は一滴一滴の水が力をもち、自分の意思で世の中を変えていく

----- 「水は人民だ。川の流れも、湖も、あるいは海でさえも、バラバラにしてしまえばたどり着くところ一滴の水になる。しかし一滴一滴の水には力がない。集まって湖となり、川となってひとつの形をなしたときに、力を得る。しかし、水自体にみずからの形は…

国籍とか民族を根拠に差別する奴は、無知で弱くて可哀想な奴なんだ。

----- 「日本の憲法でいえば、第二十二条の二項にちゃんと書かれているよ。『何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない』。憲法の条文の中で、一番好きな条文なんだ。カッコいいからね」「でも」と《在日朝鮮人》の男が言った。「俺たちが…

一定の知識を子どもたちにつめこみ、その結果が、子どものすべてであるとする世界は、人の関係を固定化する。

----- 園田さんの教育のいわば象徴としてあるこの二つの実践は、こんにちの教育の中にある人間疎外と、まったく逆の位置にある。 園田さんの実践記録に触れて、わたしはそれを次のように定義した。 「教育の目的は子どもの自立を助けることである。その自明…

言い訳は進歩の敵である

----- ミスの原因を突きつめて、次の対策を見つけることが反省だ。似ているようでいて、言い訳と反省は違う。ミスを認めるからこそ、反省して次に進める。 それまでは、失敗をしたときにミスを認めるのは、恥ずかしいことだと思っていた。なんとか言い逃れを…

小さな成功の自信が、より大きな成功が踏み台になる

----- 小さな成功の自信が、より大きな成功が踏み台になる。 ボクサーのマネージャーは、ボクサーが成功の経験を段階的に積み上げていけるように、対戦相手を慎重に選ぶ。私たちもこれと同じテクニックを使って、最初は小さな成功から経験を積んでいけばいい…

本来、子供たちに最初に教えるべきなのは、「このこと」のはずです

----- 重ねて申し上げますけれど、競争を強化しても学力が上がりません。少なくとも、今の日本のように閉じられた状況、限られたメンバーの間での「ラット・レース」で優劣を決めている限り、学力はありません。下がり続けます。 学力を上げるためには、自分…

「〇〇がない」ではなく、「自分たちにはこれがある」という、得意なところ、プラスの部分に目を向ける

----- 帝国主義の時代は、宗主国が大きければ大きいほど世界を支配できた。二〇世紀に入って植民地はそれぞれ独立したが、支配された後遺症で独立後にうまくいかず、アフリカのようにいまだ混迷している国が多い。下手に人間が人間を支配してしまうと、その…

彼らは昔と異なる仕方で生きる手応えの世界を切実に欲している

----- もう日常は不便では無い。家の中には便利な家電が並び、近くにはコンビニエンスストアが何件もある。「スイッチを押せば手に入る」「買ってくれば食べられる」という世界が日常化している。 その楽しさの一方で、何かが消えようとしている。 工夫をし…

何のために大衆運動を展開するのか

----- 実現する可能性のないプロレタリア革命を目指し続けた新左翼運動は、何かが壊れ始めていた。何のために大衆運動を展開するのか、騒乱状況を作りだそうとするのか。六〇年安保闘争当時、ブントは騒乱状態が革命への着火点となることを漠然と期待してい…

「活動」することの重要性

----- 人間はなにを残すかではなく、いかに活動し享受し、また、他人を活動させ享受させるかという点で、意味があるからである。 (ゲーテ著、山崎章甫訳『詩と真実 第二部』「第7章」113頁、岩波文庫) ----- 「活動」することの重要性。 観念ではなくて、…

どんな変革も、個人の心の中に初めてともった火から広がっていくものだということを知らねばならない

----- われわれは団結心というときに、ときどき偽善的な意味で使うことがある。というのは、団結心と指導性とはある場合には相反するからである。そして指導者は、自分の指導に従うことを団結心の証拠として要求し、要求されるものは、ただやみくもに従うこ…

試行錯誤の振幅が大きいければ大きいほど、子どもはたくましく成長する

----- 答えを見つけることが大事なのではなく、答えを見つけようとして、あれこれ考えることが、本来、教育の目的であるはずなのに、それが授業の中で忘れ去られているから、自分の頭で考え、自分の足で歩こうとする子ほど、問題児扱いされてしまうわけです…

まずは与えられた舞台で、どこまでひたむきに頑張れるか

----- それぞれ専科の先生というのは、みなさん「その教科を教えたい」という強い思いを持っているでしょうし、それは普通のことだと思います。ですが、自分が思っていた舞台ではないところで頑張れるかどうかの部分で人間性が問われてくるのではないでしょ…

子どもは一つの宇宙

----- 教師が授業でみんなに同じことを教えても、子ども(生徒)はそれぞれに違う範囲とレベルにおいて受け取る。違う内容を受け取っている可能性もあるし、まったく受け取っていないかもしれない。それほど子ども(ひと)の固有性や独自性は、強烈なもので…

人の心が分かる心を教養という

----- 人間科学の講義で、今年は最初に、個性だの自分だのと、若い未熟な人間がバカなことを考えるなと、はなはだ乱暴なことを語った。それより自分の友だち、親兄弟の気持ちがよく理解できるほうが、よほど人生が豊かになるのではないか、と。私は他人の気…

「切り札」の模様替えをはかろうとする議論に、安易に乗るのは、やはり「あぶない」こと

----- よく、「憲法は空気のようなものである」などと言われます。空気は生きていくうえで欠くことのできない重要なものですが、空気を吸ったり吐いたりすることが私たちの意識にのぼることは、あまりありません。しかし、空気が汚されたり、酸素濃度が低下…

みんなが同じイデオロギーに乗って愉しく踊っていたら、気がついたら「そんなふう」になってしまいました

----- 「自分らしさ」は「商品購入行動」でしか表現できないというイデオロギーが支配的なものになったのは、八〇年代から後のことです。それまで消費単位は家族でした。家族が消費単位であると、消費活動はあまり活発ではありません。消費に先立って「家族…

草木の芽生えを楽しみながら歩けば、それはすでに文化的な活動

----- そこで大きな力を持つのが、文化です。衣食住の必要を満たすだけでは、文化とは言えませんが、たとえおなじ食べ物でも、盛りつけにちょっと工夫をこらせば、それはすでに文化です。あるいは、道をただ急ぐかわりに、草木の芽生えを楽しみながら歩けば…

子どもに学問を教えることが問題なのではなく、学問を愛する趣味をあたえ、この趣味がもっと発達したときに学問をまなぶための方法を教えることが問題なのだ。

----- 子どもに学問を教えることが問題なのではなく、学問を愛する趣味をあたえ、この趣味がもっと発達したときに学問をまなぶための方法を教えることが問題なのだ。これこそたしかに、あらゆるよい教育の根本原則だ。 (ルソー著、今野一雄訳 『エミール(…

私は何よりも先ず子供の信頼と愛著とを贏ち得ようとした

----- 一八 子供は自分の愛するものは何でも欲する。彼に名誉を齎すものは何でも欲する。彼の大きな期待を鼓舞するものは何でも欲する。彼に力を與へるもの、「僕にはそれが出来る」と子供に言はせるものは何でも欲する。 併しかうした意欲は言葉に依つて生…

記録に残る歴史的事実は、記録者の主観を通して形を与えられたものばかりである

----- 「歴史の流れ」という言い方がよく使われる。あたかも、歴史が確固とした実在の河のようなものであって、過去の世界から未来の世界へ向かって、一定のコースを滔々と流れ続けているかのように聞こえる。しかし、これは錯覚である。普通に言うような意…

7世紀の日本建国以前の歴史は、日本史ではなく、広い意味での中国史

----- 日本史という枠組みは、日本という国家が成立したあとにしか当てはまらない。日本建国以前には、国境がまだなかったのだから、当然、国内と国外の区別もなかった。 だから、 7世紀の日本建国以前の歴史は、日本史ではなく、日本古代史でもなく、日本列…

ひとりの人間同士として、私と向き合ってくれたのだ

----- 幼い頃の大発見、もう一度 ノートの片隅、先生が赤ペンで走り書く文字は、ところどころ繋がっていたり、省略されたりしていて、小学生の私には少し読みづらかった。それでも私は必死に解読した。毎日欠かさず書いていた日記に、先生というたったひとり…

われわれをさまざまな誤謬から連れもどす真理は、医薬のようなものである

----- ある問題についてすでに自分で確定的な判断をもっている場合には、おなじテーマに関する新しい見解に接するたびごとに、排斥的否定的な態度にでるものであるが、これはごく自然なことである。なぜかというと、そういう新しい見解は、一応まとまってい…

政治家とは徳を十分に発揮できる可能性を秘めた職業

----- では、キケロにとって美しく、尊ばれるべき生き方とは何だったのでしょうか。そこで出てくるのが「徳」という考え方です。古代ギリシャ、ローマでは勇敢、節制、矜持といった徳を身につけた人物が高貴な人物であるとされ、そうした高貴な生き方を目指…

人民に吉であることは、自分にも吉である

- 北魏の酈道元(?−五二七年)の『水経注』(巻二十五)によると、邾の都の北に嶧山の岩山が高くそびえていて、岩の洞穴がつづいていて、戦乱のさいにはここにのがれて戦禍をさけるといっている。その要害の有様は、現在の紀王城と一致しているので、ここが…

国中にバカ者が多い時には、必ずバカな大統領が出てくるに違いない

- 彼にいちばん納得できないのは、バカな人間も賢い人間も、入札の場合の権利は同じ一票だということだった。 「すると、バカな人間の多い時にはバカな大統領が出てくるわけだ」 「いや、そんなことはない!」 と、チャールスはさえぎった。 「個々にはおろ…

もし自分が幸福に恵まれると信じれば、にこにこして仕事に励むだろうし、災害があっても微笑して我慢し、微笑を浮かべて再スタートを切るだろう

- 迷信 来年がどういう年になるかという真面目な記事を読んだところだ。雨の多い夏になろうという、誰もが想像している予測をしている気象学の専門家を含む、各分野の専門家の見解を紹介するものであった。最後の総括は、三流どころの預言者であるオールド・…