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人の世に熱あれ、人間に光あれ

----- 1922年3月3日、京都市の岡崎公会堂で全国水平社創立され、全国の部落から七百とも三千ともいわれる人びとが集まりました。創立大会の宣言は、これまでの部落改善運動や融和運動を「人間を冒瀆」し「人間をいたは」る運動だったと厳しく批判し、「人間…

ここで忘れてはならないのは「心のケア」です

----- 私たちは引き続き復興に向けて、できる限りのことをやっていきますが、ここで忘れてはならないのは「心のケア」です。 やはり子供たちは震災で大きなショックを受けたと思います。 学校という家族と離れたところで、あれだけ大きな地震を経験しただけ…

「礼」という真理を持つ者のみが人であり、それを持たぬ紅毛人は人でなく、夷狄であった

----- 幕府機関である長崎奉行が、出島に常駐しているオランダ人に日本式の礼を強要するのも、書物による儒教知識として、礼こそ真理であると思いこんでいるためである。その真理をもたぬ(別系統の礼を持っている)異国人に真理を強要するのは、人として当然…

具体的に他者の幸福を願ったほうが祈りは強い

----- 橋口 ただ、今まで私がイメージしていた「祈り」って、漠然と幸せになりたいとか、みんなが幸せになりますように祈りましょうっていう空気感のようなもので。あと、世界平和のためにとかね。 内田 漠然とした祈りは弱いよね。具体的に、そしてできたら…

日本ではいつの間にか「錦の袈裟」という言葉が作られて、袈裟が権威の象徴になってしまった

----- 日本では、随所に仏教の権威主義化が見られる。例えば「錦の袈裟」という言葉がある。これは、形容矛盾である。「袈裟」というのは、サンスクリット語のカシャーヤを音写したもので、「薄汚れた色」という意味である。なぜ薄汚れているかというと、死…

人間を理性だけと考えることが危険なのである。

----- もともと特別なのだら文化的動物に鍛え上げる必要はなく、ただ知識を学んで「知」的に上昇していけばいい。勉強することは人間の本質(本性)であり、自然に内から溢れ出てくる力なのである。だから、何もひとは変革されなくてともただ「知識を学ぶ」…

神がいないからこそ、僕は人間らしく苦しむことが出来るのだ。

----- ―――君が愛してさえくれればいいんだ。 ―――愛するといったって、……ねえ汐見さん、本当の愛というものは、神の愛を通してしかないのよ。 ―――僕はそうは思わない。愛するということは最も人間的なことだよ。神を知らない人間だって、愛することは出来るん…

「これこそ直ぐなのだ」と錯覚させる怖れ

- 念仏と禅という新しい宗教がこの新興の地で眼ざましく栄えている。日蓮に云わしむれば、この二つとも難解な学問や煩瑣な印契の神秘をはなれて、端的に「力」を問題にしている点で同じものであった。 一方は徹底した他力本願。 一方は徹底した自力本願。 人…

星占いが何の役に立つのでしょうか。娘をめとることこそが実に〔めでたい〕星ではないのですか

- 迷信・ドグマの排除 バッタチャリヤ博士の挙げられた二番目の「迷信やドグマや占いを排除した」ということを聞くと、多くの人は「あれ?」と思われるのではないだろうか。多くの日本仏教を見ていると、迷信的なことが多いように見受けられるからだ。 筆者…

法門をもって邪正を糺明すべし。利根と通力によるべからず

- およそ人間の文化の歩みにはきびしく正しい方向がなければならない。その方向をたどってこそ進歩はあり得る。 が、その進歩をもたらすための欠くべからざる要因は何であろうか? 第一に、心の田、知恵の海の開発でなければならなかった。心田をよく耕し、…

私は人から危害を加えられるのは嫌である。ということは、ほかの人も嫌だろう。だから私はほかの人にこういうことをしないようにしよう

- バッタチャリヤ博士の挙げられた三番目、「西洋的な倫理観を説かなかった」というのは、少し説明が必要だろう。西洋における倫理は、まず天地を創造し、生き物を産み出し、人間を創りだした絶対神のゴッド(God)が前提となっている。その絶対神に対する約…