時間は待ってくれない。
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春の風にもいろいろある。ただ春風というと、春の陽光のもとの穏やかな風、そよ風をいう。春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)というのは春の景色ののどかな様子を表す熟語だ。
春の風の中でよく知られている語に東風(こち)がある。吹きすさんでいた北風がいつしかゆるんで、時折東の風が吹くようになると、春が匂いはじめる。だが、東風は雨を伴うことが多く、寒さがゆるむころに吹くものの、海などは時化ることが多い。漁師は東風時化といって恐れた。
(高橋千劔破 『花鳥風月の日本史』「第五章 風と雲の日本史」216-217頁、2000年、黙出版)
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風の強い日でしたね。
今日は、髪をサッパリさせて、おばあちゃん家に行きました。
いつまでも元気でいてほしいですね。
孫を抱いてほしいです。
夜は、バスケ。
久しぶりに会う先輩もいました。
結婚し、赤ちゃんも生まれたということで忙しく、バスケに来るのは久々とのこと。
今日は、無理をいってバスケに来たそうです。
ボク自身も最近は、頻繁にバスケすることもないし、普段あまり体を動かすこともないので、スタミナが課題です。
まずは、そこからですね。
スタミナがないと、ハンドリングやシュートの精度も下がるし、なにより走れない!w
しんどい。けど、楽しい。
バスケで繋がっている人間関係もありますし、バスケというスポーツに出会えて良かったです。
できれば、一生続けていきたいですね。
バスケとは、何らかの形でかかわっていきたいです。
となると、中学校の教員免許も取得したい。
でも、今は小学校の担任でいっぱい×2
来週からの準備もしなければ・・・。
採用試験の勉強もしなければ・・・!
あと、洗車も・・・w
時間は待ってくれない。
「しなければ!」という危機感だけでは、行動に移すのは難しいですね。
やはり使命感と責任感。
これが必要。
その使命感と責任感、そして行動力を生み出す創造的人間を目指したいと思います。
言うは易し、行うは難し・・・;
- 作者: 高橋千劒破
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一誠兆人を感ぜしめ
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松陰は言う。「僕は毛利家の臣なり。故に日夜毛利に奉公することを練磨するなり、毛利家は天子の臣なり。故に日夜天子に奉公するなり。吾等国主に忠勤するは即ち天子に忠勤するなり」。そして毛利家や幕府に非がある場合は諌主・諌幕のために「一誠兆人を感ぜしめ」ようというのであった。誠を尽くしてそれに感じない者はないというのだ。至誠とは死ぬまで松陰が貫いた態度だった。
(古川薫『吉田松陰 留魂録』「<付>史伝・吉田松陰」181頁、講談社学術文庫)
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明日から本格的に学級指導が始まり、木曜日から平常授業も始まります。
不安感たっぷりですが、それ以上に楽しみです。
授業はまず、子ども達の反応を見ながら進めていこうと思います。なんせ、やってみないことには分からないですから。
今は、
「なんも言えねぇ」
明日、元気な子ども達に会えるのを楽しみにしています。
誠を尽くして。
- 作者: 古川薫
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全力を傾注する学業そのもの
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大次郎は以上の七巻を豊島権平から借りて宿へ帰った翌日から腹痛をおこして九日間寝込んでしまったが、病床で全巻を読破し、抄録もおこたらなかった。この叢書には続篇七冊があるが、それも後に読み終わったことを記録している。
読書録を見ると、読了すれば「卒業」などと書く。たしかに彼にとっての読書とは、単に本を読むということではなかった。全力を傾注する学業そのものであったのだろう。
(古川薫『吉田松陰 留魂録』「<付>史伝・吉田松陰」143頁、講談社学術文庫)
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来週から授業が始まりますが、まずは教科書を熟読し、教材研究を行い、1コマ1コマ大切にし、授業力を高めていきたいと思います。
理科と図工は専科ですが、残りの科目はほぼ全てなので、大変です;
それは、教育実習で経験済みですが、今度は担任としてですからね。1年間を通して、授業を進めなければいけません。
まだ、始まっていないので、どうなっていくのか、まだ分かりませんが、準備は大切なので、今から教科書を読んでいきます。
そして、小学校全体での研究主題というものもあります。
これは学校によって、形は違いますが、よりよい授業づくりのために、学校全体としてテーマを決めて、課題に取り組んでいく。
昨年度の研究紀要を渡されましたので、これも熟読していかなければならない。
そう、今までのように読書する時間がないのです;
でも、教科書や紀要もちゃんと読まなきゃいけないし、それ自体が大きな勉強となりますし。
まさに、「全力を傾注する学業そのもの」といえますね。
しばらくは、自分の好きな本を読む時間が減るのは我慢です。
まずは、授業力をつけること。
あと、学級指導をどうするか。
6日に、4年2組の児童と顔をあわせます。
初っ端の学級指導をどのようにしていくのか・・・。
相談すべきところですね。
先生方からは、遠慮なくなんでも聞いて、と言われるのですが、職員室ではみんな忙しそうにしているという;
それでも、声掛けは大事です。
「ホウ(報)・レン(連)・ソウ(相)」ですね。
来週あたりから、ブログの更新も少なくなるかと・・・;
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良書を読め
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「こういう物語は少年に人生や仕事に対して間違った考えを与えてしまうんですよ。知らなくてもいい悪いことや下品なことを教え、お姫様をお嫁に貰うとか、世間的な名誉をさずかるとか、骨を折らないで一攫千金の夢を見るようになります。誰か生き生きした自然な健康な物語を書く人はないかしらと思います。正しい美しい言葉づかいで心理を教え、出て来る人物も人間に共通な欠点を持っていながらも、私たちが愛さずにはいられないような性格にするのね。そういう本を誰か書きそうなものだと思いますよ。本に飢えている小さな子供たちが、わざわざ図書館へ行ってこんな下らない読み物を読んでいるのは見ていられません。悪いとまでは行かなくても柔弱で、もっと良い物を求めている子供たちがむさぼり読むのに全く不適当な本です。さあ、私のお説教はこれだけだから、今度はお前たち紳士方のおっしゃることを伺いたいものですね」とジェシー叔母様の顔は母親らしい心遣いで美しく紅潮していた。
(オルコット、村岡花子訳『八人のいとこ』「一七 約束」220-221頁、角川文庫)
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大学生活4年間で得られたものは多く、特に全国各地に学友ができたこと。人数は少ないですが、共に寮に泊まり、勉学、スポーツに励み、生涯の学友となる人たちに出会えたことは、ボクの人生をより豊かに彩ってくれるものです。
その学友たちと励まし合い、連携してきたからこそ、通信教育という厳しい環境の中でも、レポートや科目試験に挑戦し、乗り越えてこれたのだと思います。
通学部で通っていれば、もっと多くの人たちと出会えたことだと思いますが、通教は通教で、ここでしか出会えなかった人もいることは事実ですし、“仕事をしながら”という通教の特徴からも、職場でも多くの方と出会うことができました。
そして、もう一つの特徴は、全国から向学心溢れる老若男女が大学に集うということ。夏スクで出会ったのが、奄美大島から来た60代の通教生。二人部屋の寮で一緒になりました。
朝、起きると、机に向かってレポート作成にペンを走らせている。夜、大学から寮に戻ると、すでに机に向かっている姿が見られました。大学では、教授にレポート課題について分からないところを質問し、レポート作成に励んでいました。
地元では、農業を仕事とし、夜仕事が終わるとクタクタになり、とても勉強できる状態ではないとのこと。
それでも、遠い地からスクーリングに参加し、勉学に励む。
頭が下がります。
その他、様々な環境で、立場で、学んでいる人たちと出会いました。通信教育なので、自主性が通学部の人より強いと自負している場合もありますが、実際、教室は前の方から埋まっていきます。
学校を卒業し、社会に出てからもまた勉強しようという人は、やはり違いますね。
なので、通教で学んだこは誇りに思います。
また、
人との出会いと同じくらい、大きな影響を受けたのが、本との出会いです。
「良書を読め!」と恩師は語りました。
良書との出会いが、狭い自分の世界を大きく広げることになりますし、時代を超えて、国境を越えて、友人ができるというのです。
自身の人格形成の上でも、良書との出会いは、大切な要因となりますね。
学校でも、朝の読書運動は、すでに全国的に広まっていますが、子どものころは、ワケが分からなくても、読書という習慣は、自身の成長を止めることなく、大人になってからも自身を磨くために必要なこととなるはずです。
逆に、3流の低俗な雑誌には関わらない方がいいかと・・・。
“週刊誌”なんて聞くと、拒絶反応とまではいかないまでも、嫌な気分になりますw
嘘やデマばかりだとボクは勝手に思っているんですけどね。偏見ですねw
でも、2流、3流雑誌は、読む価値はないと思っています。
結局、あいつらの目的は“数字”なんでしょうね。
民衆を賢くするのではなく、愚かにしてしまう。今の日本を見ればハッキリ分かるでしょう。
醜いモノより美しいモノ。
損するモノより利益となるモノ。
悪いモノより善いモノを目指すのが、理想の社会だと思うんです。
理想論を語るのは、簡単。
だからこそ、安逸を退ける自己との闘争が必須になるわけですね。
足元をしっかり見つめて、現実で描く夢に向かって社会の建設に関わっていきたいですね。
理想を“語るだけ”でなく、ちゃんとアクションを起こしていきたいのです。
だから、“理想”って大事なんですよね。アクションを起こすキッカケとなるから。
よく、「一人では生きていけない」といいますね。
ドラえもんの映画の主題歌にもありますね。
であるならば、やはり、社会で起こっていることは、「関係ねェ」ことはない。
一人ひとりが社会をつくっていく、という気概で、ボクも社会に打って出たいと思います。
今日も、脱線しましたw
これからも良書を読み続け、また子どもたちにも良書の素晴らしさを語れる教育者を目指したいと思います。
- 作者: ルイザ・メイ・オルコット,Louisa May Alcott,村岡花子
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教育熱心な長州藩
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長州藩の領地は、真ん中に中国山脈が横たわり、田畑となる平野部分が少ない。農業だけでは、食べてゆけそうにない。そこで長州藩では多くの人々が知恵を出し合い、産業を興して、藩を運営してゆく。
特に重要な特産品として開発されたのが、米・塩・紙・蝋。いずれも色が白いので、まとめて「防長四白」と呼ばれたりします。あるいは本州の西の端に封じ込められたのを、「地の利」として利用します。
江戸時代、北前船の西回り航路は、蝦夷(北海道)や東北といった日本海側の特産品を積み、大阪に向かいました。中身は蝦夷の昆布や魚介の干物、秋田の米など。
その寄港地である長州下関(馬関)の港では、風待ちのための入港して来る北前船を相手にした、倉庫業や金融業が盛んになります。あるいは下関で、北前船の荷物を長州藩が買い取る。それを長州藩は大阪に運び、蔵屋敷に貯蔵し、相場が上がるのを見計らって売り払います。
こうした経済活動が活性化し、新田の開発や、何度かの財政改革にも成功。長州藩は幕末のころになると、表向きは三十六万九千石だが、裏にまわると百万石の実力と言われるほどの、経済力を備えました。幕末の長州藩が日本の中で孤立しながらも、時に世界の列強を相手に戦うことが出来たのは、こうした経済力が背景にあったのです。
滅亡の危機を迎えるたび、叡智を出し合って乗り越えただけに、長州藩内には、「国を支えるのは、結局は人である」
といった考えが、濃厚になってゆきます。
よって人材登用も盛んでした。「人材」という言葉は、長州藩の古文書の中に見られますが、意味は現代と同じです。
人材育成のため、五代目の藩主毛利吉元が萩に藩校明倫館を創設したのは、享保四年(一七一九)のこと。幕末になると全国に藩校は二百を数えたといいますが、その中でも明倫館は一二番目に開かれたという伝統を持っています。
ただし明倫館は、一定の身分の藩士の弟子しか学べません。
では、一部の特権階級のみが教育を受けていたのかというと、そうではない。
明倫館で学んだ藩士の弟子が、今度は自分の領地などに郷校や私塾を開く。そして、その地に住む下級武士や豪農・豪商の子弟などが学びます。
さらに郷校・私塾で学んだ者が、寺子屋を開いて庶民の子供たちを教える。
このように、明倫館を核として教育の裾野が広がってゆくのです。幕末のころになると長州藩内だけで、一千四百もの寺子屋が存在していたというのですから驚きです。
しかも幕末の嘉永二年(一八四九)に明倫館は堀内(城内三ノ丸)から城下江向に拡大移転され、世相を反映して武術の修練にも力が注がれます。あるいは新しい明倫館では初等教育も重視され、八歳から十四歳の藩士の子弟が就学するようになりました。
現代ふうに言えば小学校から大学院までが備わった、総合学校設備となったわけです。その充実ぶりは他藩士から、「西日本一」と絶賛されます。
松陰が生まれ育った背景には、こうした藩をあげての人材育成に対する理解、教育熱が存在したのでした。
(一坂太郎『時代を拓いた師弟 吉田松陰の志』「第一章 育てた人々」24-27頁、第三文明社)
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幕末の日本を変えた長州藩。
その原動力の一つとなったのが、“教育の力”だったのではないでしょうか。
社会にしろ、一人の人間の人間性にしろ、“変革”というのには、相当なエネルギーが必要なのですが、
現状に甘んじている間は、楽です。
しかし、将来を見据え、今のままでは到底幸福な国、世界を築けないような現状にあっては、“変革”は必要なのです。
(“独裁”はいけませんヨ。)
今のままでは、ヤバい。という社会・時代を視る眼を養うのは、言うまでもなく“教育”ですね。
無知だと、変革していく力もないですし、知恵を出し合うこともできない。ましてや、現状を見る力がないわけですから、変えようとも思わない。現状に甘んじてしまう。結局は、権力者の思うがまま。
今の日本も民主主義ですが、日本が自分の力で勝ち取った“民主主義”じゃないので、注意していないと、“ヤバい”ことになってしまうかもしれませんね。
今も相当ヤバいと思いますが・・・;
長州藩の影響力は大きなもので、“教育の力”というのは、その中の一つの要因ですが、この力がないと日本を変える力は生まれなかったと思います。
学は光、無学は闇。
ps,
本日の夜、その山口県へ出発します。
中学校時代のバスケ部メンバーで旅行です。
メンバーの一人が昨年就職し、山口県へ飛ばされました。
みんなの都合を合わせ、今週末実現しました!
久しぶりの再会ですし、初の山口県なので、楽しんでいきたいです。
どうか無事故で!!
- 作者: 一坂太郎
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引き出し手によって、人間というのは底知れぬ力を発揮する
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引き出し手によって、人間というのは底知れぬ力を発揮するものだ。
このエピソードで藤吉郎が成功したのは、まず、
“なんのためにこの仕事をやるのか”
という目的を、下で働く者全員にしっかりと理解させたことである。そして次に自分の属する組に入って自分の仕事のシェアを知らせたことだ。これによってひとりひとりが仕事に対するよろこびとやりがいを植えつけられた。さらに出した成果に対しては、正当な、あるいはそれ以上の評価をし、褒美を与える―――この方法が、秀吉の人の育て方、リーダーシップだった。
そしてこれこそが、身分の低い出自ながら、ついに秀吉に天下を取らせた原動力のひとつだったに違いない。
(童門冬二『泣ける戦国ばなし』「機転と才覚で天下を取った、人たらしの名人」132-133頁、WAVE出版)
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歴史上の人物についての評価は、人それぞれですし、事実と真実がごっちゃになっている場合も十分ありますし、なんせ人間である以上、長所・短所があるのが普通ですね。
しかし、歴史上の人物の偉業、思想から学ぶことは多いです。
結果がどうであれ、その人の行動・思想を自分がどのように消化し、活かしていくのかが大切だと思います。
歴史から学びつつ、常に未来に視線を向けていきたいですね。
恩師も数々の歴史上の人物の偉業を紹介しつつ、ボクたちに生き方を教えてくれています。
当時の社会情勢や文化、各国の状況など、今にそのまま当てはめることは難しいけれども、今の時代でも学ぶことがあり、これから生きて行く上で大切なことを教えてくれており、示唆に富むことに違いはない。
結局、時代や社会、環境が違えども、根本である“人間”の姿には変わりないのだから。
時代や国境を越えて、万人に共通する“人間性”が内在しているってわけですね。
さて、学習支援ボランティアも残りわずかとなり、講師として現場に立つ日が近づいてきました。
ペーペーの自分ですが、少しでも自身の教育観を確立していけるための土台は固めておきたいです。
子どもたちにも、“何の為に勉強しているのか”という目的観をしっかりと持たせてあげたいと思います。
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いいふらされた愚にもつかないことを信じきっている
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「キリスト教徒の旧約聖書は、ユダヤ人の聖なる書物である。ユダヤ人は、それをトーラーと呼ぶ。≪教え≫という意味だ。トーラーには、神がモーセに示された掟がかかれている。ユダヤ人はこのトーラーについて、またその掟について、一生けんめい考えた。そして、トーラーの掟をどう理解すべきか、それをかれらは別の、非常に大きな書物、タルムードにかき記した。タルムードとは≪学ぶ≫という意味だ。
厳しい信仰を持つユダヤ人は、今日でも、トーラーに記された規則を守っている。それは生易しいことではない。たとえば、安息日には火をたきつけてはいけないとか、豚などの不浄な動物を食べてはいけないというわけだ。
トーラーには、ユダヤ人の運命が予言されている。つまり、もしかれらが神の掟を犯したならば、迫害を受け、逃げねばならない、というものだ。しかしかれらは、救世主(メシア)がかれらを約束の地カナンへつれもどし、そこにかれらを民とする救世主(メシア)の国を創ってくれる、という希望をも同時に持っている。
かれらは、イエスがほんとうの救世主(メシア)であることを信じず、それまでにすでに何人か現われたようないかさま師の一人だと思った。だから、イエスを十字架にかけた。そのことについて、ユダヤ人を、今日に至るまで、許せないでいる人が大勢いる。その人たちは、ユダヤ人についていいふらされた愚にもつかないことがらを信じきっている。ユダヤ人をまた迫害し、苦しめることができるようになるのを、ひたすら待っている人さえいる。
ユダヤ人を好まない人は大勢いる。ユダヤ人はなんとなくなじめなくて、気味が悪いという。なにもかも、悪いことはみな、かれらのせいだと信じこむ。それは、ただ、ユダヤ人をよく知らないからなんだ!」
ぼくたちは熱心に聞きいっていた。しーんと静まりかえって、ノイドルフ先生の靴のきしむ音がきこえるほどだった。みな、先生の顔を見つめていた中で、フリードリヒだけが、前においた自分の手をぼんやり眺めていた。
「よく、ユダヤ人は抜け目がない、悪ぢえにたけていると、非難する!
しかし、どうしてかれらがそうならないであられよう?
痛めつけられ追いたてられはしないかと、常に恐れていなければならない者は、それでも堂々と胸をはれる正しい人間でいようと思えば、非常に強い精神を持たざるをえなくなる。
ユダヤ人は金銭欲が強いとか、人をだますなどとも、よくいわれる。だが、そうならないでいられるだろうか?
ユダヤ人は、何度も何度も財産を強奪され、没収された。また、持っているものすべてを残したまま逃げなければならなかった。いざという場合、命をあがない無事を買いとることのできるのは、お金以外にないことを、かれらはその経験から身につけたのだ。
しかし、こういうひどいユダヤ人嫌いたちでさえ認めなければならない点が、ひとつある。ユダヤ人は、有能だということだ!
有能な民族だからこそ、二千年にわたる迫害にも耐え抜いてきたのだ。
ユダヤ人は、その居住国の人たちより、大きい、よい仕事をして、次第に尊敬を勝ちとり高い評価を得てきた。多くの偉大な学者や芸術家がユダヤ人だった。現在でもそうだ。
ユダヤ人を軽べつするのを、もしきみたちがきょうにでもあすにでも見聞きしたら、次のことをよく考えてほしい。ユダヤ人は人間だ。われわれとまったく同じ人間なんだ!」
(ハンス・ペーター・リヒター、上田真而子訳『あのころはフリードリヒがいた』「先生(一九三四年)」106-108頁、岩波少年文庫)
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歴史から学ぶことは大事なことであって、
過去の悲惨な歴史には、ボクらの責任ではないけれども、しかし、未来には責任がある。
歴史と正しく向き合い、「今」を見つめることは、より良き「明日」を築くことに繋がる。
この世から、「悲惨」の二字をなくすためにも。
sp,
なにやら名古屋のエライさんが、問題発言をしたそうですが、社会的立場のある人が、根拠のないことを言ってはいけないし、
なにより、中国は、文化・芸術、文明等をもたらしてくれた国で、日本は感謝しなければならない国。
その大恩ある中国に対して非道な侵略、戦争を仕掛けにいった日本の過ちを受け止めなければならない。
一般市民を巻き込んだかどうかというそんなレベルの話ではなく、そもそも戦争が間違ってる。その過ちを犯した日本。ということで、これからも日本はより一層、平和を求め抜く国であってほしいと思います。
先哲は、第3次世界大戦の危機が危ぶまれる中、命をかけて、日中国交正常化提言を発表しました。
世界平和の実現のためには、中国が大きな影響力をもつと見て、政治やお金などの問題は度外視し、一市民として、一人の人間として、大恩ある中国と手をとりあった。
現在、ボクらがのほほんと暮らしていられるのも、先哲たちの決意と行動があってこそ。
その架け橋に傷をつけるようなことがあってはならないと強く思います。
- 作者: ハンス・ペーター・リヒター,上田真而子,岩淵慶造
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