日本の場合は、どうしてもコミットしだすと、みんなベタベタになるというところがある
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河合 いまの若者たちもやっぱりデタッチメントの気分は非常に強いですよね。コミットするやつは、端的に言えば、バカだと、そのぐらいの感じがあるんじゃないでしょうか。デタッチメントであるのを、クールで格好いいことのように思っている。
村上 ただ、95年はオウム事件と阪神の大地震がありました。あれはまさにコミットメントの問題ですよね。
河合 そうです。そこにものすごい反動のようなものが出たんですよ。ふだんデタッチの状態でいるような若者たちが、ものすごくコミットしたんです。
若者のボランティアは予想外にたくさん神戸に来たのです。日本人も、できるかぎりは何かにコミットしたいと、おそらく潜在的には思っているのだけれど、それが表に出ていなかったのが、地震と、あの事件ですごく出てきましたね。
村上 そうですね。どちらも日常的な想像力を超えた出来事ですよね。通常でない状況が出現して、そこではじめてそれがあらわれてくるのですね。
河合 それをほうんとうはもうちょっと研究すべきだと思うのだけれども、震災のときに日本の若者がコミットしてやってきたボランティアの活動と、アメリカなどでやっているボランティアと、行動がどのぐらいちがうのか、同じなのかということは、興味あるところですね。日本の場合は、どうしてもコミットしだすと、みんなベタベタになるというところがあるのです、一丸になってしまうという。
村上 それはたしかに学生運動のときもそうだったですね。
河合 だから、学生運動のころに、ぼくがよく学生をひやかしていたのは、きみたちは新しいことをしているように見えるけれども、体質がものすごく古い、グループのつくり方がものすごく古い、ということですね。あれはおもしろいですね、みんなが集まるというときに、ちょっとサボっていると、おまえは付き合いが悪いとか。つまり個人の自由を許さなくなるんですよ。全体にベタベタにコミットしているやつが立派なやつで、自分の個人のアイディアでなんとかしようとするやつは、それは異端になってしまうでしょう。
ところが、その点、欧米のコミットする人は、個人としてコミットしてますからね。来るときは来る、来ないときは来ないというふうにできるんですよ。
村上 それぞれがいろいろな事情をもってボランティアに参加していても、週に3回来られる人と1回しか来られない人がいて、3回来られる人がいばるというのが出てくるのですね。
河合 必ずいますね。
(河合隼雄・村上春樹『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』新潮文庫)
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台風12号の被害が大きいですね。
某ネットワークを通じて得た情報によると
ボクが住んでいる県の南部では、大きな被害を受けたそうです。
ほとんどの世帯で、床下・床上浸水にあい、2階まで水がきたそうです。
そこで、某ネットワークを通じて、明日、片付け作業のお手伝いに行ってきます!
今日の夜に出発し、前泊して朝から作業開始です。
お世話になったこともある地域です。
ボクは普段からコミットしているコミュニティがあるので、
こんなときだけコミットするのではなく、「こんなときも」助け合うという感覚です。
東北の大震災でも、今回のような台風でも、
やはり普段からの関わり合いが大切ですね。
数年前、我が家が浸水被害にあったときも、多くの方からお手伝い・お見舞いに来て頂きました。
これも、普段からの関わり合いがあってこそだと思います。
もちろん、普段の関係のないところへボランティアとして行くことはできますが、
「みんなが集まるというときに、ちょっとサボっていると、おまえは付き合いが悪いとか。つまり個人の自由を許さなくなるんですよ。全体にベタベタにコミットしているやつが立派なやつで、自分の個人のアイディアでなんとかしようとするやつは、それは異端になってしまう」ような感覚になってしまうこともなきにしもあらず・・・。
日常的に、あるいは生活の根底部分で繋がっている場合、生活の延長線上のように捉えて「助け合う」ことができるんだと思います。
まぁ、これを機に、「ボランティア」というものを考えてみたいと思います。
「ベタベタする」のが悪いとかではないと思いますが・・・
なんにせよ
人と人とのネットワークは強しです。
- 作者: 河合隼雄,村上春樹
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