何があっても人間を放棄せず、人間として最後まで生き抜ける人

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 行き詰ることそのものは、決して不幸ではない。
 闘えば、行き詰まりは新しい価値の源泉となる。
 幸福な人とは、行き詰らないで生きている人ではなく、行き詰まりと戦い続けている人である。
 幸福な人とは、深く悲しみ、深く喜び、深く怒ることのできる人である。
 幸福な人とは、人間以上のものを目指すこともなく、何があっても人間を放棄せず、人間として最後まで生き抜ける人である。
 そして、闘い続ける勇気、生き抜く勇気、真の楽観主義という希望を持って進む人こそ、真の勝利者である。

 このことを、私自身も山下さんから深く深く学びました。自分自身の生きていく道のりにおいて、このことを何度も振り返るでしょう。
 いよいよ開幕する二十一世紀を、人間が人間らしく生きられる「人間の世紀」とするためにも、私たちは今一度、人間とは何かということを問い直さなければならないと思います。その起点であり帰点は、「生と死」という根本の問題への思索に尽きるのではないでしょうか。
 誰もが平等に抱える問題が、自分の「死」であり「生」です。神戸で起きた痛ましい事件を、単なる悲劇に終わらせてはならないと思います。一人でも多くの人が、自分自身の「生と死」への探求の糸口とするならば、私たちは深い悲しみを新しい価値へと変えていけます。


(山下京子/構成・東晋平『構成彩花へ、ふたたび あなたがいてくれるから』河出文庫

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お昼の番組で、原発問題がどうのこうの、世田谷区がどうのこうの、年金問題がどうのこうの・・・とスタジオの中の人たちは喚きにも聞こえるような討論(?)を繰り広げておりました。

あの人たちは何主義かは分かりませんが、要は人間主義が大事じゃないんですかね。

21世紀は「人間主義の世紀」にしていかなきゃなりませんよ。ホント。

生命尊重の精神がないから、戦争するんでしょ。

「自分の命はどうでもいい。だから、あなたの命もどうでもいい」
ってことでしょ。
無差別殺傷事件とか。


何で命が大切なのか。
生命尊重しなきゃいけないのか。

これは、一見平和に見える日本でこそ、っていうか、どんな世界にいようとも、
この問題は、自身の頭と心で考えていくべきでしょうね。

仮に、この世界で自分以外の生き物がゼロになった状態になったとしたら、話は別かもしれませんが・・・。

ボクたちは、過去から学びことができますし、
どんな状況からでも、そこから新たな価値を創造することができます。

なので、21世紀に入って数年が経ちましたが、諦めることなく、
21世紀を「人間主義の世紀」にしていきたいと思います。
22世紀、23世紀を生きる人たちのためにも。

あぁ〜〜。
話がまとまりませんがw
この辺りも追々書いていこうと思います。


トルストイ(1828-1910)は言いました。

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「なにも人生を定義しなくたっていいじゃないか。人生がどんなものだぐらい、だれだって知っているんだから、それだけでたくさんさ。そんなことより、一つ、生きていこうじゃないか!」まちがった教えを拠りどころにしている人々は、自分が誤りをおかしているのにも気がつかないで、こんなことをいうものだ。人生とはなにか、人生の幸福とはなにかということを知りもしないのに、こうした人たちは、自分がいっぱし生きているように、思っているのだ。ぜんぜんなんのあてもなしに、波のままにただよっている人が、ちゃんと目的地にむかって泳いでいると、ひとり決めにして思い込んでいるようなものである。

トルストイ/米川和夫訳『人生論』角川文庫)

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一生懸命泳いでいるつもりでも、実は波に流されてるだけの人間にならないように気をつけたいと思います。

そして、「何のために」という問いを心がけていきたい。
あたかもなんでも知っているかのように、あーだこーだと話すテレビの中の人たちみたいにはなりたくないと思います。


今、この時、時間のあるうちに、「人生」や「生命尊厳」、「本当の幸福」など、深く思索していきたいと思います。

もちろん、“行動”の中で。コレ重要。


ps.
なにやらニュースを見ていると、「あいふぉん」や「すまほ」というものが話題になってますね。
もはや通話機能がごく一部の機能となってます。
「このケータイ、電卓機能もついてるんだぜ!」みたいなwそんな勢いですww
あの小さな機体に、これからももっと色んな機能が付いて、無限とも思える可能性を秘めていると思えてなりません。

そう、無限の可能性を秘めている。

一台のスマホから、一人の人間を想起していた今日この頃。

え、
まだスマホ持っていませんけどw


人生論 (角川文庫)

人生論 (角川文庫)