どんなに悪魔的世相があらわれても、決して悲観しません

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「この地上は、それ故に、どんなに乱れ腐えても、見限ってはいけません。わたくしはいつもそれを信じている。ですから、どんなに悪魔的世相があらわれても、決して悲観しません。人間はもう駄目だとは思いません。むしろ、見えないところに、同じ思いを抱いている草間がくれの清冽をさがし、人間の狂気した濁流をいつかは清々淙々たる永遠の流れに化さんことの願望をふるい起こすのが常であります」


吉川英治三国志(三)』「臣道の巻」201頁。講談社)

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夜も寒くなってきましたね。

三国志は3巻の半ばまできました。

打倒、曹操の動きになってきました。

雷に大げさに恐がる姿の玄徳の遠謀に、つい笑ってしまいました。

互いに裏をかき、またその裏をかくという戦略が面白いです。

また、それぞれの人物像から学ぶこと多しです。

それにしても、呂布は操られ過ぎw

力だけではいけません。

上は、玄徳の言葉。


諦めの心は、その時点で敗北者となってしまいます。

今も、テレビを付ければ悲惨なニュースがわんさかと・・・;

どんな社会になろうとも、自分が“人間”を諦めない限り、希望はあると思います。


先日、ニュースの中で、誰かが
「私たちが政治に対して厳しい目を向けなければなりませんね」
なんてことを言ってましたが、

とうの昔から(そうでもないかw)
ボク自身、選挙権を持つようになったころから、諸先輩方からこのように教えられてましたし、
且つ、先哲も「青年は政治家を監視せよ」と厳しく指導していました。

10年後、20年後・・・50年後の世界に生きるのはボクら青年です。そして、子ども達。

今、50歳のオジサン達は、もういないし、
そんなオジサン達は50年先のことなんか、どーでもいいって考えてるんじゃないかって思ってしまうのです。最近のマスコミなんかを見ていると。

もちろん、50年先、100年先の未来のことを考えて、今を懸命に働いている人も確実にいます!!
ただ、報道されないだけです。

少なくとも、今のワカモノが未来を見据え、自分が住む社会、そして自分が家族を持ち、子どもが生まれ、自分の子どもが生きる未来のことを想い、
政治に関心を持っているのかというと疑問です。

どうも、今さえ良ければいいという思想が蔓延しているような・・・。
そんな人たちばかりじゃないのは、承知の上ですし、
現に無気力・無関心のワカモノに対して、何とか希望を!という働きかけをしている人もいるわけで・・・。

現代は、親が子を殺し、子が親を殺す時代です。

そんな時代にあっても、決して希望を失わず、一人一人の希望を見出していくワカモノもいます。

まさに、善と悪との戦いですね。

実際、ボクの心の中にも“諦めの心”も棲んでおります。

常に、葛藤です。勝負です。
要は、自分との戦いです。
善が勝つように頑張ります!


最近は、『三国志』が教科書となっています^^

もう少しで、4巻!

愉しみながら学んでいこう!


三国志(3)(吉川英治歴史時代文庫 35)

三国志(3)(吉川英治歴史時代文庫 35)