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果たして生理的な肉体の終わりだけが人間のすべての終末なのかどうかを自問自答すべきなのである

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 私の知っている七十五歳の老婦人は自分が癌の手術を受けたと知らない。医師とその娘だけがこの婦人があと五、六年で人生を終えることを承知している。だから老婦人は暗い気持ちなどを持たず、毎日をそれ相応に楽しく送っている。
 そういう彼女をみると私は癌は告知すべきだとは一概に言えなくなる。七十をこした年齢にたっした患者なら、当人には癌を告知しないほうがいい場合だってあるのだ。
 しかし、私は癌告知の問題が今更、医師のあいだで問題になるのは、西洋医学そのものの責任であるような気がしてならない。
 長いあいだ医学は人間の生理的な肉体だけを考えて発達してきた。したがって医学は肉体の死はすなわちその人間全体の死とみるようになった。患者もまた自分の肉体死の死が生命の死、すべての死だと思っている。だから多くの医師は患者の肉体死を一週間でも十日でも延ばすため、人工的な延命をすることが正しいと考えて疑わない。
 だが一週間や十日、生ける屍のように生きつづけて何の意味があろう。
 スタニスラフ・グロウという精神病理学者は私の敬愛する吉福伸逸氏との対談で、この医学の矛盾をついている。ながいあいだ人間の生命を肉体面だけで考えてきた医者は、もう治せない末期癌患者に対しては医者としてではなく一人の人間として向きあわなければならぬのだ。
 この時の多くの医師は、医学が科学だとかたくなに信じてきたゆえに、どうすることもできず、狼狽せざるを得ないのである。
 だが、今こそ医学は科学だけではなく人間学と知らねばならぬ。そして患者も医者自身も、果たして生理的な肉体の終わりだけが人間のすべての終末なのかどうかを自問自答すべきなのである。
 私はこれからの医学教育が根本的にみなおされねばならぬと考える一人である。もちろん、医大の新設も大事だろうが、それと共に医学を人間学として捉える医学教育に切りかえねばなるまい。


遠藤周作『生き上手 死に上手』「医学は人間学」125-126頁、文春文庫)

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医学は専門分野ではありませんが、“生死”については、人間として、またよりよい人生のためにも
自分の頭を使って考えていくことは大切だと思います。

読書する上でも、書いてあることは、一人の作者の考えであることを忘れず、
一人間を相手に対話するかの如く、自分での思索も絶やすことなく読み深めていきたいと思います。

医学にしても、法学、経済学、ましてや教育学の根底には“人間学”が重要な要因であることは間違いないと思います。