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その答えを見つけようとして、僕らは互いにみがきあっている

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 高杉家がどういう家風であるか、松陰も知っていた。お殿様大事、お役目大事を家訓として代々毛利家に仕えてきた家なのである。当主の小忠太も隠居の又兵衛も、そのことに徹底して、目立つようなことはしないが、失策もしでかさない。その家風をもってすれば、後継ぎのかわいい息子が、松陰のような危険な師について教えをうけているとわかれば、有無をいわさずに禁足するに違いない。
 それを何とか晋作に破らせたい、と松陰は思った。この若者はそれに値する。であるからには、新作をして万難を排してでも松下村塾へ行こうという気持を抱かせなければならなかった。
 松陰は続けた。
「なぜ及ばないか、それはあなたが及ぼうとしないからです。あなたはいくら勉強したところで、腐儒の学徒になるだけで、そんなことはバカらしいと思っている。その限りにおいてあなたは間違っていない。ではありますが、そこから先がよろしくありません」
「どうしてです?」
 と晋作は反問した。
「僕らは、学者になるために勉学しているのではありません。人間にとってもっとも大切なのは、行動です。僕たちは何をすべきか。世のため、というのはやさしい。では、世のためとは何なのか。高杉君は答えられますか」
 晋作は答えられなかった。松陰は、その答えを見つけようとして、僕らは互いにみがきあっているのです、とほとんど叫ぶようにいった。

 松陰自身は、自分は教師ではなく、行動、実戦の徒である、と自己規定している。だが、基本的にはやはり教師であったといってよいだろう。
 彼は人がそこにいれば、相手が何を考えているかを聞こうとし、同時に自分の考えをのべた。そうせずにはいられない性質だった。この場合、人から聞くというのは学ぶということであり、自分の考えをのべるというのは教えることにほかならない。
 江戸の獄でも野山の獄でも、あくことなく松陰はこの性癖を発揮した。囚徒のなかには、殺人放火という凶悪犯も多い。人の話にじっくり耳を傾けるようなものは少ないはずだし、根は素直でも長い年月の拘束で心がねじれてしまったものもいたはずだが、どこの獄にあっても松陰は語ることをやめなかった。そこが松陰ならではの、いわば至芸であった。


(三好徹『高杉晋作』学陽書房、「第一章 師弟」37-38頁)

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今日は暖かい日でしたね。
なんか、気持ち悪かったですw


そして、今日も友人と、短時間だったけど、語り合うことができました。

他愛もない話もいいけど、中身のある深い話もたまにはいいでしょう。

というか、深〜い話を気軽にできる雰囲気ってイイですね☆

深い話になると、どうしても“哲学的”な話になってしまうけど、

よくよく考えたら、

この現実社会から離れては意味がなく、

“生きる”ことを置いては中身のない空想論になってしまう。

その「どうして人は生きる」ということについては、はっきり答えられませんが;

この先、長い人生を生きていく中で、その意味が実感として分かる日も来ると思います。

実感として。

なので、すべて“経験”から出発すべし。です。

人それぞれ、実感することがあれば、その実感それ自体が「答え」なのでしょうね。


なんにせよ、人と語り合うことで、学ぶことあれば、また喜びもあります。


高杉晋作 (人物文庫)

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