私は人から危害を加えられるのは嫌である。ということは、ほかの人も嫌だろう。だから私はほかの人にこういうことをしないようにしよう

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 バッタチャリヤ博士の挙げられた三番目、「西洋的な倫理観を説かなかった」というのは、少し説明が必要だろう。西洋における倫理は、まず天地を創造し、生き物を産み出し、人間を創りだした絶対神のゴッド(God)が前提となっている。その絶対神に対する約束ごと、契約として、人はこうしてはいけない、ああしてはいけないという倫理が成り立つ。仏教はそういう倫理を説くことはない。仏教は、天地創造の神とか、人間や生き物を創り出した神様というのは立てない。仏教に出てくる神様というのは、人間と似たようなもので、間抜けなこともするし、落ち込むこともあるし、そういうレベルである。絶対神は出てこない。では、その仏教でどういう倫理が説かれたかというと、「私は人から危害を加えられるのは嫌である。ということは、ほかの人も嫌だろう。だから私はほかの人にこういうことをしないようにしよう」と、単純にそれだけなのである。
 原始仏典には、次のような言葉が見られる。

すべての生きものは暴力を恐れる。すべての生きものは死に脅える。わが身に引き比べて、殺してはならない。また他人をして殺させてはならない。(『ダンマパダ』)
「彼らも私と同様であり、私も彼らと同様である」と思って、わが身に引き比べて、殺してはならない。また他人をして殺させてはならない。(『スッタニパータ』)

 自他が不二であり、「わが身に引き比べて」、嫌なことを他人に対してしてはならないし、喜ばれることを他人にしてあげるべきだというのである。ここには、神様は出てこない。
 もしも、ここに神様というものを介在させるならば、「神様のために人を殺す」ということは正義であると考える人が出てこないとも限らない。ということは、神様が目的で、人間が手段化されるのである。仏教では、神様なしに、人間対人間という現実の関係において倫理が説かれた。そこにおいては、人間が手段化されるのではなく、人間が目的であったわけだ。仏教では、そいうった倫理が説かれた。
 以上の三点を挙げて、バッタチャリヤ博士は、「仏教は二十一世紀に重要な思想になるでしょう」というタゴールの言葉で話を結ばれた。


(植木雅俊『仏教、本当の教え インド、中国、日本の理解と誤解』中公新書、「第一章 インド仏教の基本思想」42-43頁)

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今日は、いつもお世話になっている先輩が我が家に遊びに来てくれました。短時間でしたけど。

よかったです。

これからも自由奔放に、気楽にいこうと思います。
窒息死しないようにw

ということで、今日は珍しく、酎ハイを1杯ふくんだわけですが、
今日はゆっくり眠れそうです。

晩酌なんてしないですし、お酒を飲むと言えば、
忘年会、新年会、歓送迎会等々の行事のときにしか飲みません。
つまり、年に数回しか飲まないのです。

普段、家では、お茶ですねw

しかし、たまには、ちょっと飲んで、ぐっすり眠り、明日からの英気を養うことも必要かと。


ということで、少々頭がフラフラしていますが;
興味深い本を読んでいましたので、引用しました。

バッタチャリヤ博士の挙げた3点は、
①仏教は徹底して平等を説いた。
②仏教は迷信やドグマや占いなどを徹底して排除した。
③仏教は西洋的な倫理観を説かなかった。
です。
ここでは、3点目しか引用しませんでしたが、
どれも、興味深い内容でした。

「「神様のために人を殺す」ということは正義であると考える人が出てこないとも限らない。ということは、神様が目的で、人間が手段化されるのである。仏教では、神様なしに、人間対人間という現実の関係において倫理が説かれた。そこにおいては、人間が手段化されるのではなく、人間が目的であったわけだ」
という個所は示唆に富むと思います。

“目的”と“手段”のはき違えというのは恐ろしいものです。
かならず、悲惨な状況を招くと思います。
過去の世界大戦を振り返っても・・・。

先日の内容を被るかもしれませんが、

世界平和という目的のためであれば、キリスト教も仏教も共存していける世界は可能だと思いますが、
一人の人間の可能性の開発というものに関しては、はたして・・・
という感じがします;

価値観の違いを乗り越えて共存するというのは、(身近な例から見ても分かるように)大変難しいことですが、しかし、それを実践してこられた先哲も何人かいますし、決して、不可能なことではないと思います。


まぁ、たびたび事件を起こし、報道されているような団体は完全無視ですがw

あいつらは、“宗教”と呼べないですね。
詐欺集団。テロリストですね。


仏教も、キリスト教も、本来の目的観に立ち返れば、立派ですが、

いかんせん、時代が時代なもんで;;

あらゆる宗派が誕生し、本来の教えというものが見失われて、間違った宗教観というものが現代人には刷り込まれていると思います。特に、日本人には。
江戸時代の檀家制度、太平洋戦争での国家神道統一、オウム事件等々が大きな要因となっていると思います。


時代を経ていく中で、形骸化・形式化し、
ひどくなると、金儲け目当ての輩が出てきます。
これは必然。

しゃーなしです;

であるからこそ、ボク達のような庶民がしっかりと見極めていくことが大切なんだと思います。

「学は光、無学は闇」です。


伝言ゲームは、必ず間違って伝わりますよねw


では、今日はこの辺で。

頭も体もいい感じになっておりますw
寝ます・・・。

仏教、本当の教え - インド、中国、日本の理解と誤解 (中公新書)

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