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その真価が計られるのは、常に危機に直面したときである。

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『道徳形而上学原論』の「原論」と訳されているドイツ語の“Grundlegung”は、ほんらいの建物の「礎石をすえる」ことを意味する。礎石は、その上に建物が建ってしまえば、地下の闇に埋もれてもはやその存在が意識されることはない。そのようなわけで、建物の値打ちは、ふだんは使いでのよさとか、外見だけで計られる。建物になにも起こらないかぎりはそれでよい。しかしどんな建物でも、その真価が計られるのは、常に危機に直面したときである。たとえば地震のとき、それも大地震のときである。そのときはじめて、人は使いでのよさや外見ではなく、基礎が建物の真価を決定していることを、いやというほど思い知らされる。1755年、リスボンを廃墟にいたらしめた大地震(通称「リスボンの大地震」)が起こり、それまで自身に無縁であったヨーロッパ人たちを文字どおり「震撼」せしめた。若きカントも例外ではなく、さっそくこの大地震をめぐって、矢継ぎばやに三つの論文を著したほどである(1756年)。このとき以来、礎石の耐震性はカントの重大関心事だったのである。道徳に関してもまったく同様で、カントの倫理学も、道徳の基礎づけを意図している。「ある原理が使いでがあり、見かけ上は十分であるからといって、何らその原理が正しいという確証にはならない」。また、「最高の規範を欠くと、道徳そのものが堕落[倒壊]する恐れがある」。すなわち世間には、偽善などに代表される見かけの道徳、「仮象道徳」(手抜き工事の上に成りたつ道徳)が潜んでいる。そして気がつかないうちに道徳を堕落させるのは、おおむねこのような仮象道徳にほかならない。
 建物が建ってからでは、基礎工事のやり直しはできない。しかも、震災に遭遇してからでは、もはや手遅れである。それだけに、建物を築く前に、どうしても間違いのない基礎工事を怠ってはならないのである。『道徳形而上学原論』は、道徳にいわば最高の「耐震基準」を設ける試みだったと言えよう。


(石川文康『カント入門』「第5章 自然因果の彼岸―自由と道徳法則」142-143頁、ちくま新書)

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自身の羅針盤というか、哲学、価値観というものは、この厳しい社会の中で生きていく上では大事なものとなると思いますが、

その自身の価値観の形成していく段階での、基礎工事というのは大切になってくると思います。

ましてや、新しい価値観に出会ったとき、ほんとうにその道徳は(大きく言えば哲学)「耐震基準」がはっきり示されているのかどうか、が重要になってくるんだろうな、と思う。

人生の中では、絶望的な状況になったりすることもあると思います。
必ず、乗り越えがたい困難な壁にぶち当たる時が来る。

そのとき、今までの自分の中にある価値観、哲学によって、その状況を打開できるのかどうか、が大きな問題点であり、様々な状況に応じて対応できる生き方、羅針盤があるのかどうかってことですね。

哲学不在の時代といわれる現代です。

政治も経済も、科学、宗教、教育、医療、等々、色んな分野で行き詰まり感が漂っているように見えます。

なので、新しい価値を創造していくことが21世紀の課題なんだと思います。

世界的視野で物事を見つめ、地域単位で行動。

確かな哲学、不況や震災、病気、悩みなどによって崩れない、むしろ、それらの困難を乗り越えていける確固たる羅針盤をもってこの人生を楽しみたい。

目に見えない“基礎”部分がその“真価”なので、深く物事を見つめることが大事。

その基礎さえしっかりしていれば、どんな困難にも立ち向かっていけるというもんです。



ps,
今日は、くりすますいぶ。
サンタさんのプレゼントを楽しみにしている子ども達はウキウキでしょうね。

小さい頃、サンタさんをこの目で見てやる!と決意し、布団の中で寝たふりをしてサンタ(の正体?)を見てやろうと思っていましたが、なぜか絶対に寝てしまうという思い出があります。
学童の子ども達もサンタさんからのプレゼントの話題で盛り上がっていました。
それにしても、サンタさんを信じているだなぁって思うと、なんか可愛いですねw
小学低学年だったら信じるか・・・。

あ、失礼!! サンタはいるんだった!

カント入門 (ちくま新書)

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