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年は暦が代わるのみで、改むるのは各自の心の業である。

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 心を改め処世の方法を新たにするのは、必ずしも正月元日に限らぬ。いつにてもできる。しかるに特に正月に心を改めるというのは、迷信といえば迷信であるかもしれぬが、新しい年の始めに、新しい決心をするは、何となく行いやすいからである。何国の風俗にも、盆暮れのような季節がある。ことに我が国では歳暮と年始に重きをおくことが欧米よりもはなはだしい。しかしこの風俗はあえて悪い習慣ではない。一休和尚をはじめとし年始の式などを馬鹿らしいと笑う人はたくさんある。兼盛卿も、

  かぞふれば我身につもる年月を

     おくりむかふと何いそぐらん

 と詠じておるが、詰まらなく騒いだり、無意味に急いだりする弊は、いましむべきであるがこの期を善用するについては、いかなる聖人も名僧も叱ることはあるまい。

 新玉の年立ち返るというは、改むる意を含んでいる。この改める意は年を改むるのではない。年は暦が代わるのみで、改むるのは各自の心の業である。世界全体の人(太陰暦の国人は別)はこの同じ日を選び、過ぎた年の不快を忘れ、古い帳面に棒引きし、人と人との関係を新たにすることを相談したかのごとくである。こんな時は一年に一回しかない。もとより各自が適宜の日に、その心を改め「今日が自分に新年である」と言えば、言われぬことはむろんない。しかし自分一人が新年であると叫んだとても、他人が応じてくれなければ、心を改め、己を新たにすることがむずかしい。主人が笛吹き、客踊るというように相互に応ずればこそ、世渡りがなしやすくなる。ゆえに他人がすべて心を改め、己を新たにせんとする時に、自分もまた心を改むるが最も便宜である。これが我々の新年を期して心を改めんとするゆえんである。

 

新渡戸稲造『修養』「第十七章 迎年の準備」497-498頁、タチバナ教養文庫、2010年)

 

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大晦日です。

この1年をふり返って、自分はどれくらい成長できたのだろう。忙しさに流され、自分が成長している実感があまり湧いてこないのが正直なところです。毎日、自分の非力さに情けない気持ちになることが多々。

4月から担任として教育現場に飛び込み、日々、責任感と緊張感に圧されつつ、なんとか周りの人たちの支えと、子どもたちの頑張りで、ここまでやってこれました。

そして、これからも、子どもたち、保護者、教職員の皆さんと共に成長していきたいと思います。

 

また、4月から新たな世界に飛び込んだわけですが、本当に素晴らしい方たちとの出会いに恵まれ、感謝です。

出会いというのは、本当に不思議なもの。

ここまでやってこれたのも、周りの支えてくれている人たちがいたからこそです。校長先生、教頭先生、相担の先生、全教職員の皆さんには、いつも助けてもらいました。1年目の学校がここで本当に良かったです。

来年度はどうなるかわかりませんが、残りの3か月間も全力で、子どもたちにぶつかっていく決意ができました。

 

毎日が仕事のことで、いっぱいいっぱいでしたが、職場以外のところでも、励ましてくれた人たちがいたことも忘れてはいけないこと。

来年も恩返しの想いで、人格練磨に励んでいこうと決意したところです。

 

そして、このブログを読んでくださっている方々にも感謝。なかなか更新できませんが、来年もよろしくお願い致します。

皆さんの益々の幸せを祈りつつ・・・。

 

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修養 (タチバナ教養文庫)

修養 (タチバナ教養文庫)