「関係性」とは心のつながり

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河合 僕がさっきいった話ですけどね、関係性と生命現象。これ、あんまりみんないわないんですが、ものすごい大事です。でも実際にやると、経験的にうまいこといくでしょう。すると、「この方法は科学的に正しい」と思ってしまうわけですよ。そこには方法論的な反省が少ないと思います。これが非常に問題やと思いますね。
 行動療法なんかも、自分たちは科学的にやっているというふうに考えるわけですね。ところが、実際はそのなかには絶対、関係性が入ってくるんですね。
茂木 先生のいまの話はわかりやすかった。なるほど、そういうことですね。
河合 それを不問にしているわけですよ。わかりやすい例を挙げますとね、不登校の子どもさんに、「きみ、学校へ行ってないんだってね」と。「ではまず、玄関まで行きましょう」と。行ったら「えらかったね。じゃあ、次はあの角のところまで行きましょう」。また行ったら「えらかったね」とやるわけですよ。これが行動療法ですね。
 それを実際、僕の知っている学校の先生でやった人がいるんです。そしたら、どんどん学校に近づいていくわけですよ。とうとう、学校の保健室まで行ったわけ。
 そしたら、保健室にほかの先生がきて、「おい、なにをボヤボヤしとるんや。ここまでこれるんやったら、教室へ行って、勉強せい!」ってやったわけですよ。そしたら、その子は家に帰って、もう学校にこなくなった。つまり、これで関係性がパーン、と切れたわけですよ。
 ここで大事なのは、「ここまで行った」「あそこまで行った」というのは科学的、論理的にうまいこといってたんやない。それは、先生とその子との関係性で行われていた、ということなんです。
茂木 行動が切れたんじゃなくて、関係性が切れたということですね。
河合 そういうことを、みんなわかってないんです。ほかの先生に「早う、行け」なんて、そんな全然知らないやつにいわれたら、そこで関係性が切れるんですよ。そこのところの反省がないと思うんです。
 しかし、うまいことやっている人は、両方うまいことやっているんですよ。やっているところだけを見たら行動療法だけど、ちゃんと話を聞いている場面があるわけです。
 有名な行動療法学者のジョゼフ・ウォルピという人がいるんです。そのウォルピのところに、僕の友達の武田健さんという、関西学院大学アメリカンフットボールのコーチや監督で活躍した、おもしろい人が行ったんです。で、見ていたら、ウォルピは行動療法をもちろんやるんだけど、あいだにものすごくうまいこと話を聞いていると。そのふたつでやっていると気がついて、ウォルピに「あなたの本には行動療法のことしか書いてないけど、話を聞いているのも大事ではないのか」というたら、ウォルピは「そんなこと書いたら、行動療法の本にならない」っていった。(笑)
茂木 そうですね。なるほど。
河合 だから両方、要るんですよ。僕らもそれに似たみたいなことをやっているわけでしょう。その両方を同時にやらないかん。
 こういうことを、僕は「関係性の科学」とか「新しい科学」とかいってるんですけれど、それをもっと考えないといけませんね。でも、これはすごいむずかしい。


河合隼雄茂木健一郎『こころと脳の対話』「第1回こころと脳の不思議」36-39頁、新潮文庫

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先生と子どもの関係。

旧友との関係。

地域の皆さんとの関係。

恩師との関係。

先輩・後輩との関係。

様々な関係性がありますが、基本、“自分対相手”という関係性は外せないですね。


この本、面白いっす。

この世の中には、不思議なことがたくさんある。

その中でも、“人間”という存在が一番不思議だと思います。

その不思議な“人間”をしっかり見つめて、色んな人と関わっていきたいと思います。今年は。


こころと脳の対話 (新潮文庫)

こころと脳の対話 (新潮文庫)