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やっぱり一生懸命治そうと思ったり、ウロチョロすたりする時が必要

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小川 患者さんが治っていく時には、何か「ものすごくうまいこと」が起こるということを、お書きになっていらっしゃいました。
河合 そうなんです。僕の患者さんが治っていった話をそのまま書いたら、あまりに都合のええことが起こりすぎて、作品にはなりにくいと思います。現代の人は、小説の中で都合のよすぎることが起こると、納得が行かない。そやけど僕の患者さんが治っていくときには、極端なこと言うと、「外へ出たら一億円落ちていました」というくらいのことがよく起こる。こんなおもしろいことないですよ。
 ある時、治療がうまくいったことをしゃべったら、「うまくいくはずや、偶然がいっぱい起こってるやないか」って言われました。そして「ここまで偶然が起こるのは、やっぱり河合さんが上手いからやろうな」と言われました。でも僕は何もしてない。
小川 その偶然というのは、患者さんが起こしているんですか。
河合 そういうことを起こしてくれる「場」というものがあると思いますね。それから、都合のいい偶然が起こりそうな時に、そんなこと絶対起こらんと先に否定している人には起こらない。道に物なんか落ちていないと思っている人は、前ばっかり見て歩いてるから、いい物がいっぱい落ちとっても拾えないわけでしょ。ところが、落ちているかもわからんと思って歩いている人は、見つけるわけですね。
小川 既にそこにあることに「気づく」ということですね。
河合 そうです。だから僕は言いたいの。そんなんは僕らの身の回りに実はいっぱいあるんだと。ただ気づかないだけじゃないかと。
小川 小説を書いている時、もうまったく何も書けない真っ白な状態というのが続くことがあります。「こんなんじゃ私はもう一行も書けない」という状態の時に、それでも何か書こうと思って、一生懸命考える。すると、思いもしないところから、それも遠いところから突然、カミオカンデニュートリノが飛び込んでくるみたいに、偶然何かが飛び込んできて、その途端にパーッと真っ白な所に色がつくみたいに、動き出す時があるんです。
河合 結晶作用みたいに、パーンと出来てしまう時ってあるでしょう。
小川 自分が今まで悩んでいたことは何だったんだろうと思いますよ。ですから、小説を書き終えた時に、自分の力で書いたっていう意識が、実はあんまり残らないんです。
河合 そこは似ていますね。僕も、僕が治したという感じはほとんどないんですね。それでもこんだけのことを出来る人間は、あんまりいないとは思っています(笑)。そういう自信はあるけれど、でも僕が治したのではないという感じは嘘つけない。
小川 その治る場に必要な、空気を、水を、先生が患者さんに供給されたということですよね。
河合 それがわからないうちは、どうしても治そうと思って張り切るから疲れますね。その人のためを思って何かしようとするけれど、結果は良くないことが多い。でも、そういう時も越してこないと駄目なんでしょうね。初めから今みたいになれといっても無理で、やっぱり一生懸命治そうと思ったり、ウロチョロすたりする時が必要なんだと思います。
 若い頃、不登校の子に自転車で会いに行った時に、こんなことせんでもええ人は何もせんでええんやけど、今の僕の器量やったら仕方ない、そう思ったのを覚えています。


河合隼雄小川洋子『生きるとは、自分の物語をつくること』「Ⅱ 生きるとは、自分の物語をつくること」54-57頁、新潮文庫

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がむしゃらに、がむしゃらに、

挑んでいくことは、絶対に必要。

もう無理と思っても、もう面倒見きれないと思っても、

望みは失わない。


希望。


生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)

生きるとは、自分の物語をつくること (新潮文庫)