花がそんなにも身近にあり、それがわたし自身のものであったことを、そして このような全き美が わたし自身の胸の奥深くに花咲いていたことを

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   二〇

 蓮の花の咲いた日に、ああ、わたしの心は彷徨っていた、なのに わたしはそれに気づかなかった。わたしの花籠は 空っぽだった、なのに 花には目もくれなかった。
 ただ、ときとして、ある悲しさがわたしのうえにふりかかり、わたしは 夢からふと目覚め、南の風に あやしい香りの甘い余韻をきいていた。
 その仄かな甘さが わたしの心を あくがれにうずかせた。それは 終焉を求める夏のはげしい息づかいのようにも思われた。
 そのとき わたしは知らなかった―――花がそんなにも身近にあり、それがわたし自身のものであったことを、そして このような全き美が わたし自身の胸の奥深くに花咲いていたことを。


(R・タゴール、森本達雄 訳註『ギタンジャリ』48-49頁、第三文明社、レグルス文庫209)

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4月から教育者として教壇に立つであろうボクにとって、先輩である現役教師の存在は大きいです。

実際、教育現場で働くことになれば、様々な言うに言えない苦労が多々あると思いますが、そんな時に激励をくださる諸先輩方の存在ほど有難いことはないです。

もちろん、先輩方も苦労されている最中ですが・・・共に同じ教育者として切磋琢磨し合い、励まし合い、子ども達の幸福を第一とした実践活動を進めていきたいと思います。

そうしたネットワークは強く繋げておきたいですね。


自身の存在価値を最大限に創造していくと共に、自身の使命を自覚しつつ・・・。


ps,
試練や苦難は、人生に付き物ですが、それを「ウザいもの」と捉えるのと、「鍛えられている」と捉えるのでは、人生観も大きく違ってくるでしょうね。
この違いは紙一重だと思うんです。自覚した瞬間に、一気に世界が違って見えるんじゃないでしょうか。
この微妙な心の変化を繰り返しながら、そして、何が起こってもビクともしない“真の勝者”を目指して、日々奮闘です。

混沌として汚れきった世の中でさえも、自身は泥に染まることなく全き美を保つ蓮の花が自身の心にあると同様、子ども達一人ひとりにも厳として内在していることを確信しつつ・・・。

子ども達の可能性は無限大。というように、ボクを含め、すべての人にも無限の可能性は秘められているんでしょうね。
色んな人の話を聞いていると、そう実感します。

なので、世直しをしていくのは、ボクら一人ひとりということで。


pps,
蓮の花、一度生で見てみたいです。
もしかしたら、気付いていないだけで、見ているのかもしれませんがw
実際、「ほ〜、これが蓮の花かぁ〜」と手を後ろに組んで観賞してみたいですw


ギタンジャリ (レグルス文庫)

ギタンジャリ (レグルス文庫)