法門をもって邪正を糺明すべし。利根と通力によるべからず
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およそ人間の文化の歩みにはきびしく正しい方向がなければならない。その方向をたどってこそ進歩はあり得る。
が、その進歩をもたらすための欠くべからざる要因は何であろうか?
第一に、心の田、知恵の海の開発でなければならなかった。心田をよく耕し、深い知恵を持ち得たとき、そこには当然「人間の成長―――」がもたらされる。
成長した人々の間に生まれた文化でなければ進歩でなくて腐朽か停滞か混乱かであった。
蓮長の眼には、いま築かれつつある鎌倉文化すら、無間地獄への道辺に咲いた毒いちごの花に見えた。
その同じ人間の努力を浄土への道へ向け変えなければ、やがてその毒を口にした人々ははげしい勢いで狂い出し、作った人々や作らせた人々ばかりでなく、国民すべてに叛逆するに違いない。
したがって、仏教革命は現実としては人間革命であり、政治革命でもあった。
蓮長の工夫はいまその実践の細部にわたって凝らされている。
ここに釈尊の正意を奉じ、深遠な理想をかかげて開宗を宣してみても、それが現世に活きる人々の実際生活とかけ離れていたのでは無意味であった。
人間革命はおろかのこと、それでは叡山や高野山で独善にふけっている学生のたぐいと選ぶところはない。
教判に至らざるところはないか。
宗旨に不明の雲はかかっていないか。
信行にかくところはないか。
安心を、確固として掴ませ得るか。
それらのことに最後の検討を加えて、蓮の花の音たてて聞くときをわが心奥に待つ禅定だった。
よかれあしかれ人間の知恵のすすんだ現世では、きびしく三証は具足していなければならない。
体系立った論理のあやに一点の疑いをのこさせても、それは信仰を揺るがせる。
「―――一切は道理にすぎず」
「―――道理は文証にすぎず」
「―――文証は現証に及ばず」
現実の動きのよって来る原因を、掌をさすように指摘して、しかもその指摘はつねに、真理に立脚しているものであることを証明してやらなければならない。
そうすると、時に人の眼には預言者のごとくに見えるであろう。が、その予言は決して迷信にもとづくものではなくて、一定の法門(学問真理)をもって、邪と正をわかってゆくのでなければならない。
わざわざ言を構えて小悧巧ぶったり、祈祷や神憑りなどの通力によって迷信へ踏みこませたりしたのでは革命の意義は消えうせる。
「―――法門をもって邪正を糺明すべし。利根と通力によるべからず」
二日三日と坐りつづけてゆくうちに、蓮長の色身はだんだん澄明さをましていった。風の声に心の扉をひらかれたり、小鳥のささやきが思索の助けになったり……
(山岡荘八 歴史文庫『日蓮』「第四部 立宗篇」229-231頁、講談社)
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心の田を耕し、深い知恵を持っていなければ、「自分自身の成長」はないし、そんな人が大多数を占めるようになれば、政治や経済、環境等の発展は偶像の発展であり、取り返しのつかないことになってしまう。
現に、原発問題や環境問題、政治や経済の混乱、さらには地球環境の破壊から異常気象の多発など、地球規模かつ日常生活における問題は数知れず。
それは、天変地異や伝染病、飢餓、内乱等の争いに苦しむ鎌倉時代と同じように思えてくるのです。
科学技術が発達し、文明は随分と進みましたが、
一方で、人間の心田の開発には、どれだけの進歩があったのでしょうか。
いくら科学技術が発達しようとも、いくら知識を身につけようとも、それを用いる人間の“知恵”“人間性”が伴わなければ野蛮な方向に行ってしまう可能性は十分にあるんです。
人間のなかには、畜生の心もあるんですから。
根本的に、現代人と鎌倉時代の国民とは、変わっていないように思います。
当時も前述のように、苦しむ人々が多数いたわけですが、それらの民衆を利用し、国家権力を用いて、私利私欲を貪る権力者がいたわけです。
そのような国家権力と結託していたのが、祈祷や神憑りなどのインチキ宗教でした。
やっぱり助けを求めますからね。苦しんでいる人たちは。
それを、聖者の仮面を被った悪僧たちは、“利用”していたというのが、憤慨です。
中には、本当に救おうとしていた心ある人もいたと思いますが、その法が全く科学的でなく、現実的でなければ、その善の心も空回り。
この「苦しんでいる民衆を利用している権力者」という構造は、現代では無くなったのでしょうか。
ボクの知らないところで権力者はあの手この手で、襲いかかってくるでしょう。
それが、巡り巡って、日常生活に影響を与えるものであるなら、正義の言論戦を広げていくしかないと思います。
権力者はもちろん、国民一人ひとりまでが心田を耕し、正邪の判断力を身につけ、深い知恵をもって社会に応えていかなければ、それこそ権力者の思うつぼ。
一番恐いのは、ワカモノの“無気力”“無関心”。
マスコミに踊らされ、政治家ではなく、政治屋が選挙に勝つ。
そして、騙された国民は、愚痴を漏らすだけ。
もっと賢明にならんといかんゼヨ!
と、まぁ、ボクもこうして愚痴をこぼしながら生きていくのでしょうか・・・w
自分革命。
ps,
苦しい時代だからこそ、正しい方向性を見出していける。
豪雪の被害のある地域には、除雪作業などのボランティアの人々が集まっていますが、政府より頼りになるのが、民衆の団結力、行動力ですね。
これは、歴史を見ても分かりますが、日本国民にとっては、3・11以降、より明らかになったと思います。
一人ひとり、できることから。
- 作者: 山岡荘八
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