教育熱心な長州藩

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 長州藩の領地は、真ん中に中国山脈が横たわり、田畑となる平野部分が少ない。農業だけでは、食べてゆけそうにない。そこで長州藩では多くの人々が知恵を出し合い、産業を興して、藩を運営してゆく。
 特に重要な特産品として開発されたのが、米・塩・紙・蝋。いずれも色が白いので、まとめて「防長四白」と呼ばれたりします。あるいは本州の西の端に封じ込められたのを、「地の利」として利用します。
 江戸時代、北前船の西回り航路は、蝦夷(北海道)や東北といった日本海側の特産品を積み、大阪に向かいました。中身は蝦夷の昆布や魚介の干物、秋田の米など。
 その寄港地である長州下関(馬関)の港では、風待ちのための入港して来る北前船を相手にした、倉庫業や金融業が盛んになります。あるいは下関で、北前船の荷物を長州藩が買い取る。それを長州藩は大阪に運び、蔵屋敷に貯蔵し、相場が上がるのを見計らって売り払います。
 こうした経済活動が活性化し、新田の開発や、何度かの財政改革にも成功。長州藩は幕末のころになると、表向きは三十六万九千石だが、裏にまわると百万石の実力と言われるほどの、経済力を備えました。幕末の長州藩が日本の中で孤立しながらも、時に世界の列強を相手に戦うことが出来たのは、こうした経済力が背景にあったのです。
 滅亡の危機を迎えるたび、叡智を出し合って乗り越えただけに、長州藩内には、「国を支えるのは、結局は人である」
 といった考えが、濃厚になってゆきます。
 よって人材登用も盛んでした。「人材」という言葉は、長州藩の古文書の中に見られますが、意味は現代と同じです。
 人材育成のため、五代目の藩主毛利吉元が萩に藩校明倫館を創設したのは、享保四年(一七一九)のこと。幕末になると全国に藩校は二百を数えたといいますが、その中でも明倫館は一二番目に開かれたという伝統を持っています。
 ただし明倫館は、一定の身分の藩士の弟子しか学べません。
 では、一部の特権階級のみが教育を受けていたのかというと、そうではない。
 明倫館で学んだ藩士の弟子が、今度は自分の領地などに郷校や私塾を開く。そして、その地に住む下級武士や豪農・豪商の子弟などが学びます。
 さらに郷校・私塾で学んだ者が、寺子屋を開いて庶民の子供たちを教える。
 このように、明倫館を核として教育の裾野が広がってゆくのです。幕末のころになると長州藩内だけで、一千四百もの寺子屋が存在していたというのですから驚きです。
 しかも幕末の嘉永二年(一八四九)に明倫館は堀内(城内三ノ丸)から城下江向に拡大移転され、世相を反映して武術の修練にも力が注がれます。あるいは新しい明倫館では初等教育も重視され、八歳から十四歳の藩士の子弟が就学するようになりました。
 現代ふうに言えば小学校から大学院までが備わった、総合学校設備となったわけです。その充実ぶりは他藩士から、「西日本一」と絶賛されます。
 松陰が生まれ育った背景には、こうした藩をあげての人材育成に対する理解、教育熱が存在したのでした。


(一坂太郎『時代を拓いた師弟 吉田松陰の志』「第一章 育てた人々」24-27頁、第三文明社

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幕末の日本を変えた長州藩

その原動力の一つとなったのが、“教育の力”だったのではないでしょうか。

社会にしろ、一人の人間の人間性にしろ、“変革”というのには、相当なエネルギーが必要なのですが、

現状に甘んじている間は、楽です。

しかし、将来を見据え、今のままでは到底幸福な国、世界を築けないような現状にあっては、“変革”は必要なのです。

(“独裁”はいけませんヨ。)


今のままでは、ヤバい。という社会・時代を視る眼を養うのは、言うまでもなく“教育”ですね。

無知だと、変革していく力もないですし、知恵を出し合うこともできない。ましてや、現状を見る力がないわけですから、変えようとも思わない。現状に甘んじてしまう。結局は、権力者の思うがまま。

今の日本も民主主義ですが、日本が自分の力で勝ち取った“民主主義”じゃないので、注意していないと、“ヤバい”ことになってしまうかもしれませんね。

今も相当ヤバいと思いますが・・・;


長州藩の影響力は大きなもので、“教育の力”というのは、その中の一つの要因ですが、この力がないと日本を変える力は生まれなかったと思います。


学は光、無学は闇。


ps,
本日の夜、その山口県へ出発します。
中学校時代のバスケ部メンバーで旅行です。
メンバーの一人が昨年就職し、山口県へ飛ばされました。
みんなの都合を合わせ、今週末実現しました!
久しぶりの再会ですし、初の山口県なので、楽しんでいきたいです。

どうか無事故で!!


時代を拓いた師弟―吉田松陰の志

時代を拓いた師弟―吉田松陰の志