達成感とは、自分が努力したものについてうれしい評価を受けたり、満足したりすることで得ることができる

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 たとえば、床を金属にして電気ショックを流せる部屋を作ります。そしてこの部屋に犬を一匹入れ、出口をふさぎ電気ショックを与え続けるのです。当然、犬は逃げようともがき苦しむけれど、逃げ道はありません。これを何度も何度もくり返し行うのです。すると、次第に犬はあきらめて、逃げようとしても逃げられない苦痛を、しかなく受けるようになるのです。ついには座り込み、動かなくなってしまいます。

 そんな部屋の床を畳のように区切り、犬が座っている一部のみに電気ショックを与える実験をすると、いままで散々逃げようともがいてきた電気ショックから、いまさら逃れられるはずがないとあきらめ、本当は一歩前に出れば逃れられるにもかかわらず、じっと耐えてその場に座り続けるのです。

 このように、逃げようとしても逃げられない苦痛を何度も味わうと、「逃げようとしても無駄なのだ、自分は無力なのだ」と学習してしまうのです。

 

 無力感を学習できるのであれば、その逆の達成感も学習できるだろう、というのが、「学習性達成感」の意味です。

 

 達成感とは、自分が努力したものについてうれしい評価を受けたり、満足したりすることで得ることができます。そして、それは勉強に限ったことではなく、なんでもかまいません。

 

宮本延春『逆境力』「第3章 努力が実を結べば自分は変わる」108-109頁、主婦と生活社

 

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残り1ヶ月を切りましたね。土日もあるので、今の子どもたちと過ごす日数は、20日ほど。

子どもたちに達成感、成功体験を積ませてあげられただろうか。反省。

もう叱ることはやめて、褒めまくろう。そう思うくらい褒めることができなかったかなと思います。

たしかに、褒めることは大事で、間違いないですが、実際はなかなかできず、注意することが多々・・・; そうなってしまったのも、4月からの積み重ねで、子どもたちに成功体験を積ませてあげられなかったことに原因があるのでは。と思うわけです。

よーく見ると、子どもたちは本当に頑張っていますし、認められたいという思いで色んな態度に出ます。確実に成長していっていますし、素直で優しい心の持ち主ばかりです。ただ、ちょっと幼くてヤンチャで、モヤモヤ・イライラをどこにぶつけていいのか分からない、周りの目が気になる年頃なのかと思うわけです。

小さなことでも、些細なことでも褒めるべき。

しかし、何度、そう心がけて出勤したか・・・。

決意はできます。が、実際の行動が難しいわけです。行動できる人こそ、尊いですね。有言実行。

 

さて、来年度はどうなるか。少し見えてきました。

講師登録はしましたが、非常勤で希望を出しました。すると、非常勤は厳しいと。4月からの任用は無いに等しい様子で、考え直さないかという話も頂きましたが、勉強する時間も欲しかったので、非常勤のままで希望を通しました。

最悪、教育とは関係のないアルバイトをすることになると思います。(それはそれでいい経験になると思いますが・・・)しかし、教育現場で少しでも経験を積みたいという思いもありつつ、どうしようか考えていたところ、母校で働けるかもしれない動きがありました。まだ詳しくは分かりませんが・・・。もしかしたらですけど。

どんな形であれ、母校のために力になれるのであれば、嬉しい限りです。

月曜日に詳しい話を聞いてきます。

 

どんな場所であれ、“今いる場所”で全力を尽くす。

 

 

ps,

今日、25歳になりました。生まれて四半世紀。

昨日の自分となんら変わりはありません。昨日と同じ、明日も同じ。そう感じますが、日々変化していることは確かです。

米粒一つ無くなったぐらいでは、気づきません。1日1粒、ネズミに取られても減ったことに気づきません。でも、ある日、袋の中を見てみると、確実に減っていることに気づきます。成長・堕落も一気に見えるものではありませんが、でも確実に成長、あるいは堕落というのは進んでいって、ある時、気づくわけです。最悪の場合は、「もう手遅れ・・・」

誕生日といっても、いつもと変わらない日でした。久しぶりに友人と食事できたのは嬉しかったです。互いに近況を話し合えたのもよかった。高校教師も大変ですな。

25歳でもまだまだ世間知らずの若僧です。この1年も、例年にも増して学び行動する人を目指して走り切る決意でございます。

 

 

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逆境力―どん底の日々がボクに力をくれた

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