「親しみが感じられ、敬意を抱くことのできる北朝鮮の人」と個人的に出会う経験

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 日米関係は現在友好的に推移しているが、その最大の理由はアメリカの世界戦略と日本の国益のあいだに密接なリンゲージがあることよりむしろ、日本国民のかなりの数が、実際に日常生活の中でアメリカ人と知り合い、そこで親しくかかわった経験を持っていることにあると私は思う。

 まさにその意味で、日韓の国交正常化は「失敗」だった。

 在日朝鮮人の差別問題や、従軍慰安婦問題を考えると、無為に流れた年月はあまりに長い。この「失敗」は両国の政官財トップレベルでの合意と、アメリカの積極的介入があったにもかかわらず、国民的レベルにおける「親しみと敬意」の醸成のための国民的運動がついに立ち上がらなかったことに起因する。

 それと同じことを日朝国交正常化において繰り返してはならない。

(中略)ほんとうの正常化はまだ一歩も進んでいない。一片の外交文書のやりとりや、軍事行動の自制の約束などによって国交の正常化は基礎づけることができない。それを基礎づけるのは、両国のあいだに開かれた外交関係を築くことが、両国民にとって「よいこと」であるということについての、ふつうの国民の生活感覚からの同意である。私たちに何よりも必要なのは、「親しみが感じられ、敬意を抱くことのできる北朝鮮の人」と個人的に出会う経験である。一方、北朝鮮の国民にとって何よりも必要なのは、「親しみが感じられ、敬意を抱くことのできる日本人」と個人的に出会う経験である。そのような国民的共感のうえに立たないかぎり、どれほど文飾華麗な外交的取り決めも、どれほど巨額の経済協力も、両国の関係のために資するところはほとんどないだろう。そのような「風通しのよさ」だけが真の意味での「安全保障」を担保すると私は考える。

 

内田樹 『子どもは判ってくれない』「第四章 大人の常識」293-294頁、文春文庫、2006年)

 

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暑いですね~。一気に暑くなった感じですが、雨は降らないんでしょうか。今日も空を見上げると、一向に降る気配は感じられませんでしたが。

 

さて、教員採用試験が近づいてまいりました。出勤してからの朝の空いた時間等を利用して、勉強を進めているところです。

と同時に、内田樹氏の著作を読んどります。目から鱗が落ちるとはこのことか!とページをめくるたびに思うわけです。「ふんふん、なるほど」と読み進めております。が、「あー、わかったわかった」と理解したつもりで読んでいることはあまりよろしくないもので、自分の考えと経験とすり合せていくことが大事かと。

この本の「あとがき」には次のようにあります。

 

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 いま一つは、「何かが『分かった』と誤認することによってもたらされる災禍は、何かが『分からない』と正直に申告することによってもたらされる災禍より有害である(ことが多い)。」

(『子どもは判ってくれない』330頁)

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どの本にも著者の考えが込められ、それは一個人の見解であるに過ぎないと思うわけです。

この本は、内田氏がブログやBBSなど、いろいろなメディアに書き下ろしたエッセイをいくつか加筆・修正し、再録したもので、さまざまな分野における内田氏の考えが述べられています。

現代を生きるワカモノに読んでもらいたいと思います。

 

また、中国の英雄、周恩来のエピソードも登場します。

 

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 かつて周恩来は中国人が憎むべきなのは「日本軍国主義」というイデオロギーであり、「日本人民」ではない、という「イデオロギー」と「生活者」のあいだの水準差について語り、日中両国の人々のあいだの友好の基礎を築くことに成功した。私はこの政治的洞見に敬意を抱くものである。

 しかし、これは中国人が口にすることは許されるが、日本人が口にすることは許されないし、中国人に向かって「そう言ってください」とこちらから要求することのできない言葉である。

(『子どもは判ってくれない』252頁)

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「真の国交は、政治的、経済的関係ではなく、民衆による文化・芸術的交流によって為される」という言葉をどこかで聞きましたが、まさに、「国民的レベルにおける「親しみと敬意」の醸成のための国民的運動」が重要であり、そこには、利害関係もなく、真の友好関係を築くことができ、偏見・差別を乗り越えていく道筋があるのではないかと。

現に、日中関係があまり良くなかった昭和50年、中国と関わろうとしなかった社会情勢の中で、中国人留学生を受け入れた大学が存在しました。政治絡みでは、ギクシャクしていた時代に、民衆、なかでも未来を拓く青年に焦点を当て、「国民的レベルにおける「親しみと敬意」の醸成のための国民的運動」が行われていました。政治絡みでは何かと動きづらいですが、このような草の根運動、民衆レベル、人間主義に立った交流こそ、揺らぐことのない真の友好関係を築くことができるんでしょうね。この留学生受け入れなど教育分野をはじめ、音楽や絵画などの文化・芸術分野での国際交流は、現在活発に行われています。この運動をきっかけとして、日中国交正常化へと時代は流れるわけですが、現代の日本人の関心事には上がらず・・・;

 

まぁ、人間をその住んでいる国で判断しちゃいけませんね。

たしかに中国は、なにかと問題に上がりますし、(韓国、北朝鮮も)現に、この前、100円均一で買ったお茶が中国産だというのに気がつき、飲む気になれませんでした;

しかし、中国人や朝鮮人を一つのカテゴリーに入れて判断するのはできませんし、個人を見てみると、いい人もいれば、悪い人もいる。それは日本だって同じでしょう。

「認識せずして評価せず」との先哲の言葉もあります。

マスコミを通じて流れてくるニュース・情報のみで、どうして中国人、朝鮮人の一人ひとりの人間性が分かるのでしょうか。

 

 

ps,

ホント、雨が降らないですね。ヤバいんじゃないでしょうか・・・。

近所の川もカラカラです・・・;

 

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子どもは判ってくれない (文春文庫)

子どもは判ってくれない (文春文庫)