国民主権の原理は、憲法の根本規範だから、憲法内部の論理では変更不可能

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 占領期に日本国憲法が制定されたことへの批判はいまだに根強いものがあります。国の最高法である憲法はその国民が決定しなければならないのに、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の事実上の指導の下で、いわば「押しつけ」られて制定されたのであるから、「憲法の自律性」に問題点があるという批判です。これが憲法制定時には憲法制定権力が国民には存在しなかったという問題点を突くものです。ここでは憲法の正統性の究極的な根拠はどこにあるのか、という根源的な問題まで考える必要があるようです。
 結論的に言うと、憲法の正統性の基盤は、一つには、憲法の内容的な正しさ、つまり普遍的な正義や理念を規定しているということ、二つには、その国の構成員が支持していることにあると考えられます。
「個人の尊厳」という普遍的な正義を中核にすえて、そこから出発すると、現行憲法も採用している国民主権の原理に到達するはずです。なぜなら、個々人の生き方、考え方を尊重することがいちばん大切であると言いながら、その個人の生活に最も大きな影響を及ぼす国政のあり方について、その人の考え方をみずからの行動で反映させる権利を認めないとするのは背理となるからです。
 自由権のみならず社会権も盛り込んだ人権規定、議院内閣制、違憲審査制など、主権の所在以外の点においても、日本国憲法は、当時の憲法に要求される世界水準を十分に満たし、むしろ凌ぐといってもよいものです。内容において、普遍的な正義を体現している憲法であることに間違いはないでしょう。
 では、国民の支持の面についてはどうでしょうか。憲法改正が審議された帝国議会では、女性にも参政権を認めた初の選挙で選ばれた議員で構成されていて、国民各層の意思を代表したといえます。そして現行憲法はそのような議会における自由でかつ闊達な審議と採決を経て可決・成立し、同時に国民の圧倒的支持も受けたという事実を再確認することこそ重要です。
 このように考えていくと、 「押しつけ」憲法という批判は、その正統性を否定し去るほど重大なものとはいえません。八月革命説も、現行憲法の正統性をめぐる問題について、法技術的な観点から事後的に説明する洗練された方法と考えることができます。
 以上のことからすると、国民主権の原理は、憲法の根本規範だから、憲法内部の論理では変更不可能と言うことができ、その改正手続によって国民主権を戦前の天皇主権に変えることもできないという結論になります。

 

(渋谷秀樹 『憲法への招待』「第1章 憲法とは何か」28-29頁、岩波新書、2001年)

 

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お久しぶりです。

梅雨は終わったんでしょうかね。ジメジメとした暑さから、夏らしい暑い日がやってきそうです。

 

さて、教員採用試験を2週間後に控えたこの土日、大学のスクーリングに参加してきました。科目は「憲法」。

憲法という難しい科目を2日間みっちりと受講し、その基本的なことを学びました。

憲法の宛名は、国家権力の担い手に向けられたものであると。つまり、国民が国家に対して、これらの法を守れよ!と突きつけているのです。国家から国民に向けられているのは、憲法以外の五法ということになります。

が、日本国憲法はその生い立ちが曖昧で弱いため、国民自らが作り上げたものではないという感覚なんでしょうね。ボクも以前は、GHQが勝手に作り、「押しつけ」られた憲法だと思っていました。

が、『憲法への招待』を読み、また今回の授業で、考えが変わりました。背景にはGHQの存在があったのはたしかですが、当時の議会や憲法研究団体が日夜、草案作成に関わっていたとのことです。

明治憲法では、天皇主権でした。天皇は「象徴」ではなく「神」の存在でした。ある人が語っていたそうですが、小学3年生の時、自分の住む町に天皇がやってくるというので、事前に学校の先生から国旗の旗の振り方などの練習をさせられていたそうです。そして、「天皇が前を通る時は、顔を伏せなさい」と教えられたそうです。しかし、小学3年生というわんぱく坊主だったので、(絶対に天皇の顔を見てやろう)と思っていたそうです。そして、当日、天皇が子どもたちの前を通った時、その人は、顔を上げられなかったそうです。それほど、当時の天皇という存在は大きく、絶対的存在だったそうです。

その天皇主権から、国民主権に変えようとするのですから、相当な意識改革だったと思います。が、悲惨な戦争を経験し、焦土と化した日本を前に、もう二度と戦争は

しない、平和こそ尊いという当時の国民の願いが、日本国憲法に体現されたのだと思います。

そして、新憲法公布に当って、総選挙も行われました(上の引用の通り)。85%の支持があったそうです。

 

また、

第99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とあり、「国民」が入っていません。これは、先に書いた憲法は国民の手で作り上げたもので、その宛名は国家権力を担う者に向けられたものであるからです。

もう、戦争するなよ!!国民の基本的人権を尊重せよ!!というメッセージです。

権力の濫用を防いでいるのです。

J.Eアクトンの言葉に「絶対的権力は、絶対的に腐敗する」とあります。どんな徳のある人でも権力を独占してしまうと腐敗するとのことです。厳しい言い方ですが。

人の支配から、法の支配へとシフトするのです。

 

国民主権、平和主義、基本的人権の尊重。

世界水準より優れている戦争放棄の憲法は、世界でも日本ぐらいだそうです。(あとどこかって言ってたな・・・)

憲法こそ国民の味方です。政治家がとやかく言う必要はない。国民が作ったんだから、国民に任せておいてほしい。

この憲法が今、危うい状況にある。奇しくも参議院選挙の時期。

 

今こそ、国民の主権を発揮する時。

 

気がつけば、焼け野原になっていないように・・・。

 

「悲惨」の二字をなくしたい。人類の願いは変わらない。

 

 

憲法への招待 (岩波新書)

憲法への招待 (岩波新書)