子ども一人ひとりに構成されている生活が、あるいは理想的な親子関係や家庭が、子どもたちを「知」の世界に導く直接の契機になるわけではない

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 私も生活と勉強は切り離して考えていない。生活が構成されていないと勉強への取り組みはむずかしい。生活と勉強は地続きだと思う。子どもは精神的に安定している必要がある。親との交流や家庭のあり方は勉学にも大切である。

 しかし、子ども一人ひとりに構成されている生活が、あるいは理想的な親子関係や家庭が、子どもたちを「知」の世界に導く直接の契機になるわけではない。子どもが自ら勉強に立ち向かう姿勢を構築するとするなら、そこには生活とは別の、「知」の世界の巨大さや予感やら、子どもたちの「個」と「知」(世界・宇宙・全体・普遍)との膨大な距離の感覚や、それを埋めようとする子どもの内的な衝動なりが構成される必要がある。

 

(諏訪哲二 『なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える』「5章 指導論①「百マス計算」・隂山メソッドの注意点」140頁、光文社新書、2007年)

 

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教員採用試験まで、あと5日となりました。

今年は、色んな意味でプレッシャーがかかってます;まぁ、捉え方の問題ですし、その辺は、もう心の問題です。

明日は、海の日で3連休最終日。

試験の分野は違えど、8月に重要な試験を控えている先輩と少しの時間、語ることができました。ハンパないプレッシャーや、やってもやっても先が見えない、悶々とした気持ち、また自身の無力感・・・等々、受験者の気持ちを共有することができました;と同時に、改めて合格への決意と、勇気をもらいました。

共に戦う同志の存在は、心強いです。やはり、一人での勉強は辛いですし、孤独です。連携を取り合う存在がいるというのは、大切なことかもしれません。

ヤル気をもらったので、帰宅後も勉強!

 

が、明日が休みといえども、健康管理も重要。健康管理も試験勉強の内です。「生活が構成されていないと勉強への取り組みはむずかしい」ですからね。

では、そろそろ・・・。

 

 

ps,

勉強の件ですが、単なる知識のための勉強にならないように気をつけたいです。もちろん、暗記するものもありますし、知識として身につけなければならないことも多々あります。が、その中でも、「自分」という人間が成長・変化していけるように質を高めていきたいと思う。

「勉強する前」と「勉強した後」の自分が変わっているように、何かしらの変化を求めていきたいですね。これは、筆記試験というよりは、面接試験に向けての勉強でもありますが、ここでまた思うのが、単なる試験対策ではないと。「人間として成長する」ための勉強であって、試験のための勉強はそのあとから付いてくるものとして捉えるということでしょうか。

まぁ、「学ぶ」ことは、死ぬまで一生続きますからね。

 

 

なぜ勉強させるのか?  教育再生を根本から考える 光文社新書

なぜ勉強させるのか? 教育再生を根本から考える 光文社新書