「ごめんね」「まあ、いいですよ」という言葉が交わされることを無数に積み重ねることによってしか国民国家のあいだのコミュニケーションは構築されてゆかない

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 一人の国民は、その国を代表する。

 その国を代表して、他国民を糾弾する権利があり、他国民を許す権利があり、他国民の前にうなだれる権利がある。私は国民国家というものは、そのような一人の国民の「代表権」の幻想のうえにおいてのみはじめて健全に機能すると考えている(そのことについては、すでに何度か書いた)。

 私は日本人を代表して、日本がベトナムに対して犯した罪過についてビンくんに謝罪し、ビンくんはベトナム人を代表して、それに微笑みをもって応えてくれた。

 そんな権利はウチダにはないぞ、と言う人がいるかもしれない。ビンくんにもそんな権利はないのかもしれない。けれども、顔と顔を向き合せたこのような水準で、「ごめんね」「まあ、いいですよ」という言葉が交わされることを無数に積み重ねることによってしか国民国家のあいだのコミュニケーションは構築されてゆかないのではないかと私は思う。

 今日の講演を通じて、私はいろいろなことを考えた。

 ベトナムは二一世紀の日本にとって大事なアジアの盟友である。日本とベトナムのあいだには深い友好と信頼の関係が築かれるべきであると思う。

 私はベトナムの人はビンくんしか知らない。でも、私がビンくんに感じる敬意は、ビンくんのような堂々たる青年紳士を生み出したベトナムの固有の知的・文化的風土に対する敬意に直接つながっている。

 

 

内田樹 『子どもは判ってくれない』「第四章 大人の常識・ベトナムの青年が教えてくれたこと・」288-289頁、文春文庫、2006年)

 

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本日は、国際交流教育ということで、本校に、ベトナム、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、フィリピンなど、東南アジアを中心に9ヵ国から約20名の研修生たちがやってきました。

4時限目、それぞれの学級で各国の文化や習慣、街の様子などを紹介、クラスによっては、その国の遊びを体験したり、人形劇を披露してもらったり、お土産をもらったり・・・。

最初は緊張気味の子どもたちも徐々に慣れて、楽しく交流していました。

 

給食も縦割り班に分かれ、一緒に食べました。英語が喋れない子どもたちでしたが、簡単なコミュニケーションを取りながら、美味しく頂きました。ボクの隣は、ラオスから来た青年。サッカーが好きだそうです。自身の英会話力の無さに凹みました;

昼休みも、運動場で一緒にサッカーやドッジボールをして盛り上がりました。英語が喋れなくても、遊びの中でお互いの関係が深まっていきました。ホントにみんないい笑顔でした。

掃除も一緒に、取り組みました。

 

5時限目、全校集会。

研修生の方から一人ずつ自己紹介の後、校長先生の挨拶。校長先生は英語教師だったこともあり、英語が堪能。研修生の皆さんには英語でご挨拶。さすがです。

そして、我が校伝統の鼓笛パレードを披露。海外の皆さんにも喜んで頂けました。皆さん、カメラを向けて、まるで観光気分。そんな感じでしたw 交流授業でも、教室内や予定黒板など、いろんなところを撮っていました。珍しいのかな。

その後、縦割り班対抗で、めくってオセロのゲーム。研修生もそれぞれのチームに入り、子どもたちと一緒に走り回って、大いに盛り上がりました。自然と円陣を組み、声をかけ合うチームの姿も・・・。

ボクは、ずっとカメラ担当だったんですが、皆さんのいい表情がばっちり取れました。子どもたちも研修生とハイタッチする姿も見られ、もう仲良し。

全校集会のラストは、全校児童、研修生、スタッフ、教職員、全員の集合写真。校舎の屋上から、「ハイ、チーズ!」

一人ひとりが良い笑顔でした。

 

撮り終わって、運動場に降りる途中。

カメラを手に、大変なことに気づきました。

 

 

「おれ、写ってないじゃん・・・!!」

 

 

6時限目、5・6年生と交流授業。ボクは4年生の算数の授業。ハイテンションの集会後でしたが、子どもたちは集中して授業を受けてくれました。

放課後も研修生の皆さんと少し交流し、写真を撮ったり、お土産をもらったり・・・。子どもたちも仲良くなった研修生の名前を覚え、別れを惜しんでいました。

教職員全員にもお土産を頂きました。感謝。

最後は、研修生・スタッフの皆さんへ校長先生はじめ、教職員全員でお礼の挨拶。

 

子どもたちにとっても、私たちにとっても、貴重な機会となり、いい1日でした。前日まで、まさかこんなバタバタで、充実した日になろうとは想像もしていませんでした。いや、3時限目が終わるまでは・・・。

子どもたちは、言葉がなかなか通じない中で、一緒に交流し、他国の文化、習慣、人間性に触れ、何かを学び取ったことは間違いないと確信するところです。

 

実は、今回のこの事業の中心者は、我が校の卒業生でもあり、ボクの先輩だったんですね。そして、兄ちゃんの同級生という・・・。

本校が今年度で閉校ということで、この国際交流の企画をしていただいたとのことだったそうです。

地域の方もそうですが、卒業生も母校に対する想いというのは強いんだなと思いました。

きっと、今日の鼓笛パレードも懐かしく思っていたのではないでしょうか。

 

 

国境、文化、宗教、習慣、言葉、年齢、性別、主義・主張が違えども、一人の人間として相対した時、このような差異はちっぽけなものとなる。子どもたちの姿がそれを証明していました。

真の国交は、民衆レベルによる交流でこそ結ばれる。就中、未来を拓く青年同士の交流こそ、真の平和を目指す上で重要となる。政治絡みの国交では到底たどり着けないものでも、一人の人間として国際理解、国際交流に努めるならば、ボクたち自身の心は豊かになるばかりか、その国も本当の意味での「豊かな国」になるのでは・・・。

そのために、「教育」には大きな使命と責任があるのだと思いました。

 

 

子どもは判ってくれない (文春文庫)

子どもは判ってくれない (文春文庫)