文字が読め数がわかるといったことも子どもにとっては新たな発見であり、感動的なこと

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 子供にとっては学校生活のひとこまひとこま、授業の一時間一時間は、新しい世界が開かれる機会であるはずです。小学校の基礎教育も「わかりきったことを教える緊張感のとぼしい仕事」ではありません。文字が読め数がわかるといったことも子どもにとっては新たな発見であり、感動的なことなのです。その感動を保障しながら、基礎的な知識が次の発見を生み、新たな世界がひらかれていく、そのような仕方で学力が生きた力になっていくのです。そして教師も、そのような子どもに学びながら成長していくのです。本来授業とはそうあるべきなのに、現実には教育の各段階は次の段階への準備としてのみ意味をもたされて、わかることの喜びを味わうゆとりもなく、次の学習へとせきたてられ、前のめりになって足が地につかない不安感を増幅させながら先を急ぐ習性を身につけ、この間、いわゆる「学力」と「生きる力」とは、ますます遊離する傾向にあるのです。教師もまた、その前のめりの姿勢のなかで心の余裕を失い、バランスを失っている場合が多いといえましょう。

 

(堀尾輝久『教育入門』「はじめに―「過剰な教育」のもとでの教育不在」6-7頁、岩波新書

 

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入学してきた子どもたちは、学校という世界に期待に胸を膨らませていたはずですが、いつの頃からか、「面白くないところ」と感じてしまうのでしょう。

本来、知らなかった世界を知るという知的好奇心、知的興奮は、人間の身体・精神にとって感動的なものを奮い起こし、心身ともにダイナミックに成長していけるものだと思います。

大人の立場からすれば、なんでもないような簡単な問題でも、初めて出会うその問題が「できた!」という最初の感動は必ずあるはずです。それを大人は忘れてしまっているのでしょうね。もちろん、大人になっても、学び続ける人は、その感動を味わうことができ、人生により豊かな彩りを与えています。そういう人は生活が充実していますし、子どもにあっては、充実した学校生活となる。

だから、教師自身も学び続けることが必須ですし、「分かる」「できる」という感動を持って、授業に臨まなければならないと思います。

共に考え、共に挑戦し、共に喜び、共に感動する。教育は共育。

まぁ、言うは易し行うは難し。ですが・・・;

学習指導要領というものがありますし、それでも、その中で教師自身が創意工夫し、より感動的な授業を目指していくことが大切となってくると思います。

 

明日は、1年生の研究授業。学ばせてもらいます。

 

 

ps,

BOOKOFF様様です。

105円の本でも綺麗なものもありますし、5冊買っても525円という嬉しい価格。

ありがたや、ありがたや。

 

 

 

教育入門 (岩波新書)

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