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学ぶ気がなければ、何を教えたってだめだ。

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 授業がはじまると、

「あああ。」

と、わざと大きなあくびをしたり、いびきをかいて眠ったふりをするものも多かった。

 万次郎は、しかし、おこらなかった。

 漁師あがりの身分とはいえば、たしかにその通りだったし、また、サムライたちが、その漁師を“先生”と呼ぶことに、とても抵抗を感じる気持ちもよく理解できたからである。

 それに、万次郎は、英語に限らず、学問の勉強にひとつの考えを持っていた。

 それは、「学ぶ気がなければ、何を教えたってだめだ。」という考えである。

 いくら時間をかけても、学ぶ方に、覚えようという気持ちがなければ、教師のことばなど、ただ、むなしくからまわりするだけなのである。

 どうしても、それが必要なのだ、という気持ちを持たない限り、特に英語のような学問は身につかない。

(覚えようという気持ちがみんなにわくまで、気長にやるさ。)

 万次郎は、そう割り切っていた。だから、あまりあせらず、生徒が居眠りをしようと、あくびをしようと、かまわずに、決められた時間に、決められたことを教えた。そして授業が終わると、一人で海の方に歩き、桂浜というところに立って、太平洋の青波に見とれるのだった。

(この海の果てにアメリカがある。この海はアメリカにつながっている……)

 そこへいくまでには、鳥島もある、小笠原もある―――。

 あの頃の苦労に比べれば、まだまだ、今の方が楽だ―――そう思うのである。

(サムライがあくびや居眠りをしていられるのも、今のうちだ。すぐに、サムライたちは、そんなことをしていられなくなる。英語を知らなければ、日本の国の大切な仕事に携われなくなる日が必ずくる。)

 万次郎はそう思っている。

(そして……その日は、この大きな海からやってくる。)

 ある日、突然に―――。

 

童門冬二『ジョン万次郎』「第七章 新しい日本のなかで」234-235頁、学陽書房

 

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久しぶりに童門冬二さんの本に手を伸ばしました。

『ジョン万次郎』読了。

最近、小説を読んでいないことに気づき、買ったけど読んでいなかった太宰治の本を少し読んだりしましたが、前から気になっていた『ジョン万次郎』を読みました。

幕末。封建国家バリバリの日本。生まれた場所により差別されるという酷い社会でした。今でもその差別意識は残っている。

漁師として子どものころから働かされていた万次郎。正月でも明日を生きるために漁に出なければならないが、その働き口さえあるかどうか・・・。となりでは、凧揚げで遊ぶ同年代の子どもたちの姿。遊びたい気持ちはあるが、それでも明日を生きるために、仕事をする。

漁中、嵐に遭い、無人島に漂流。そこで、アメリカの捕鯨船に助けてもらい、アメリカの地へ。日本とは異なる自由と民主主義を体感する。当時の日本人からしてみれば、驚きの連続だったでしょうね。万次郎は、幸いにも親切なホイットフィールドというアメリカ人と出会い、様々な世話をしてくれました。これも運のよさでした。自由と民主主義の国といえども、黒人への差別意識があり、日本人という黄色い肌の万次郎へも冷ややかな目で見る人も多くいました。

アメリカで様々な経験を積んだ万次郎は、世界から「野蛮でブタの頭をした日本人」と見られている日本という国を変えるため、日本へ戻ります。

このままでは日本は世界からバカにされ続け、植民地にされてしまう。という思いもあったのでしょうけど、バカでも大名の家に生まれれば大名というおかしな制度が日本にはあり、身分による差別が民衆を苦しめている。その苦しみを断ち切るためにも、世界へと目を向けて、“誰のため”の社会か、“誰のため”の国かと考え直す必要があると強く思うところもあったのだと思います。

能力主義、競争主義も問題があるので、アメリカの真似をする必要もないのですが、制度や方法論よりも、まずは、人間の内にある差別意識を改革する必要がある。じゃ、そのためにどうしようかという考えですが、根本の“誰のため”という目的観がなければ、同じ過ちを繰り返すのが人間です。

万次郎自身、子どものころから(大人になってからも)差別を受けてきた人間です。「差別はおかしい」と思うのは当然だと思いますが、被差別者でなくても、差別のおかしさに気づき、差別をなくしていく主体者でなければ、差別はなくならない。なぜなら、差別は、「差別する側に問題がある」からであって、被差別者がいくら反差別を叫んだところで加差別者、そして傍観者が意識を変えなければ意味がないと思います。

(だからといって、被差別者の声は決して無駄ではない。)

 

この本を読みながら、職場の研修主題である人権教育に関連するものだなと思いました。子どもたちが世間からの歪んだものさしで見られたとき、差別の現実にぶつかったとき、どのように立ち向かうのか、どんな力をつけさせていけばいいのか。それを研修で学んでいるのですが・・・。差別に抗い、日本を変えた万次郎は、一つのモデルとなるのではないでしょうか。

 

子どもたちが、自分はどんな人生を歩んでいきたいのかを見つけるために、本校では出会い学習をすすめています。「生き方モデル」の獲得です。

「この人のように生きていきたい」「この人の役に立ちたい」というモデル像を見つけ、その人の生き方、考え方、行動を学び、自分の暮らしや学習につなげていくというもの。キャリア教育ともいうかもしれませんが、学校によって捉え方はそれぞれです。

なので、「人に会うこと」が大事なんですね。そして、子どもたち自らが“出会いたい”という主体性をもった、“学びの必然性”が絶対に必要です。受け身のままで、「何のため」という目的意識がないまま、出会い学習を行っても、まったく意味がない。出会った人に対しても失礼ですね。

 

この生き方モデルは、実際に出会った人たちの生き方をモデルにすることですが、本の主人公にそれを当てはめることもできるのではないかと、密かに思ったり・・・。

ここに一つ、読書の意義が見出せるのではないでしょうか。

 

ps,

万次郎が日本に戻り、サムライたちに英語を教える場面があります。

「何のために学ぶのか」

これが分からなければ、学習意欲も湧きません。これは、僕の小、中、高の経験から身をもって理解できるので、当時のサムライたちの気持ちもよく分かりますw

しかし、「何のために学ぶのか」という目的観が確立されれば、人は飛躍的に各々が持つ才能の芽を急速に伸ばしていくことができます。

 

「何のために学ぶのか」

これを子どもたちが自分なりの考えを持ち、主体性をもって学ぶようにこちらが働きかけることも必要ですし、「何のため」という理由がなくとも、「学ぶこと」自体が楽しいと思えるような授業のあり方を考え続けなければいけないですし、答えは分からないけど、「みんなで考え合っているこの時間が楽しい」という授業づくりを目指していきたいですね。

 

 

ジョン万次郎 (人物文庫 ど 1-52)

ジョン万次郎 (人物文庫 ど 1-52)