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なにかにぶつかり、迷い、挑戦し、失敗し、ということを繰り返すこと

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 目の前に問題が発生し、何らかの壁に当たってしまったときに、そこから逃げてしまうほうが、効率的に思えるかもしれません。実際に、その時のことだけを考えれば、「得」のようにも見えます。ところが、そうやって回避しても、結局はまたその手の問題にぶつかって、立ち往生してしまうものなのです。
 大学紛争のときのことを思い出すと、それがよくわかります。あの時、正面から問題にぶつかった人の、その後を見ると悪くないのです。いっときは、かなりの面倒やストレスを背負い込んでしまうから、損をしているように思えても、後々それが活きています。一方で、要領よく立ち回った人は、意外とうまくいっていない。
 社会で起こっている問題から逃げると、同じような問題にぶつかった時に対処できないからです。「こういうときは、こうすればいい」という常識が身につかないのです。
 ことは社会的な問題に限りません。社会的な問題から逃げ切っても、それと似たような構造の問題を家庭内に抱えてしまうこともあります。
 そのときに逃げる癖のついた人は、上手に対処ができない。だから結局は、逃げ切れないのです。
「逃げ切り」が可能になるのは、新たな問題が目の前に現れる前に死んでしまったときくらいでしょう。
 また、身体的な問題、遺伝的な問題などは別として、人間関係や仕事に関わることなどの世間の問題と言うのは、どこかで自分のこれまでやってきたことのツケである場合が多い。そう考えていいのではないか、と思います。
「自分は何も悪くないのに、厄介ごとが次々に襲ってくる」と本人は思っていても、周りから見れば、その人自身が厄介事を招いている、と言うこともあります。どこかで他人や社会との距離の取り方、かかわり方を間違えているのかもしれない。しかし、逃げてきた人には、そのことは見えない。
 自分がどの程度のものまで飲み込むことができるのか。さまざまな人とつきあうことは、それをするために役立ちます。
 こういうことを学ぶうえでは、時に学校教育は邪魔になります。標準を決めて試験で優劣を決めることができても、世の中を生きていくうえでは、それ以外のことのほうが大切な場合が、ほとんどだからです。
 他人とかかわり、ときには面倒を背負い込む。そういう状況を客観的に見て、楽しめるような心境になれれば相当なものでしょう。
 自分がどこまでできるこ、できないか。それについて迷いが生じるのは当然です。特に、若い人ならば迷うことばかりでしょう。しかし、社会で生きるというのは、そのように迷う、ということなのです。
 どの程度の負担ならば「胃袋」が無事なのか、飲み込む前に明確にからるわけではありません。その意味では、運に左右されることもあるし、賭けになってしまう部分もあるでしょう。
 なにかにぶつかり、迷い、挑戦し、失敗し、ということを繰り返すことになります。
 しかし、そうやって自分が育ててきた感覚のことを、「自信」というのです。

養老孟司『「自分」の壁』「第10章 自信は「自分」で育てるもの」218-221頁、新潮新書

 

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新年、明けましておめでとうございます。

本年も宜しくお願い申し上げます。

 

冬休みもあっという間に終わり、新学期がスタートしました。

最後の学期です。3年生としての総仕上げ。気を引き締めていきます。

始業式は、全校児童、欠席者ゼロでした!嬉しい!

3年生の子どもたちも、大きく成長したように感じました。

 

冬休みが明けてすぐ、3連休ですが、毎日のように職場へ行き、雑務を片づけています…。

仕事が遅い自分が情けなくなってくるんですが、これも自分で選んだ道です。「仕事」として片付ける部分も多々ありますが、その「仕事」を「生き方」にしたのも自分です。

そして、その「仕事」は、「子どもの幸福」につながる。そう確信してやっていかないと、ただ忙しさに流されてしまいます。

教育の目的を忘るることなかれ。

 

「他者とかかわり、面倒を背負い込む」

教師でなくとも、一人の人間として目指していきたい生き方ですね。

 

今年も、大いに迷い、大いに挑戦し、大いに失敗して、大前進・大勝利していきたいと思います。

 

 

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「自分」の壁 (新潮新書)

「自分」の壁 (新潮新書)