自分で変わろうとしないで、子供にだけ変わることを求めるーーーこれが教師の原罪

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 私はかつて書いたことがあるんですけども、教えるということは、子供が何かを学んだ時に初めて完結する営みなんです(『教えるということ』国土社刊)。一定の定められたことを「教え」て、時間割の枡目をうめても、それで教師はその任務を果たしたことにはならないわけですね。授業は、持ち合わせの知識の量の多いはずの教師が、それの乏しいはずの子供に知識を分けてやることであるかのような観念がある。とんでもない迷妄です。私は、教師に求められる第一の資格は、教える技術や能力ではなく、学ぶ能力だと思っています。教育が可能になるのは、要するに、教師がちあきちゃんならちあきちゃんと一緒に生きているうちに自分の考えを訂正して、変わっていくときです。自分で変わろうとしないで、子供にだけ変わることを求めるーーーこれが教師の原罪だとこのごろつくづく思います。私は、授業というものも、教師と子供が一緒に生きる場にならなければならないと考え始めました。そういうものとして授業をとらえ直すことが、学校がいままでの教育の方向を転換するきっかけになるんじゃないか、私はそんなふうに思います。

 

 

(『教えることと学ぶこと』(対談)灰谷健次郎、林竹二、35-36頁、小学館

 

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昨日、地区運動会に参加してきました。久々に、母校の運動場を走りました。

3年前、我が母校が閉校。昨年度から、チャレンジスクールとして、校舎が使われています。少子化の進む町に、若い人たちの姿が見られるようになりました。再び、母校に人が集まっていると思うと、嬉しいです。

 

地区運動会には、このスクールの学生さんたちも参加していました。準備や片付けなどに走る姿が見られました。

夏まつりにも、屋台を出していました。こうして、地域に入り、地域の方々とふれあうことは、とてもいいことだと思います。出身地ではないけれど、通っている学校の地域の方々とふれあうことで、母校への誇り、愛着も深まると思います。

 

私も、勤めている小学校区の地域行事には進んで参加しています。そこには、地域の方々はもちろん、保護者や子どもたちもいます。学校外での子どもの姿も見ることができますし、保護者といろいろなお話もできます。子どもたちは、学校だけでなく、家庭、地域の中で育っています。我が家族、我が地域に対して、胸をはって誇れる人になってほしい。決して、自分の家族や生まれ育った地域を否定的な見方で社会に出てほしくないという気持ちがあります。世間は、厳しい差別社会でもあります。その中に飛び込んでいく子どもたちが、世間と同じような差別の眼で、我が家族や故郷を見てほしくありません。

ですから、子どもたちには、家庭や地域の中で、さまざまな人と出会い、人と人との関係の中で、自分の生き方を考え、学び続けていってほしいと思います。

今、3年生でも、地域学習を展開しています。単なるカリキュラムとしての学びではなく、子どもにとって意味のある学びにしていきたいと思います。

そのために、私も地域の中に入り、保護者や地域の方々と一緒に考え、共に子育てをしていくスタンスをとっていきたい。教育に携わる者として大前提だと思います。

まだまだ学び続ける教師でありたい。

 

 

と、言っている私ですが、自分の地元の地区運動会に本格的に参加したのは初めてです(笑)

地区対抗の競技に参加しました。まず、綱引き。まさに、全力を出し切ったといっても過言ではないほど、死力を尽くしました。が、1回戦敗退。終わってからしばらく腕が痛くて、物をつかめないほどでした。

明らかに運動不足です・・・。

他にも、宅配リレー。段ボール箱を5つ重ねて、運びます。この荷物がバトンがわり。我が地区は、3位。

満水競争も、3位でした。

久々に同級生や、教え子にも再会でき、楽しい運動会でした。終わってからは、地区の集会所で、反省会・打ち上げ。

我が地区も年々、子どもの数が減ってきています。でも、おじさんたちは元気!

若いボクも負けてはいけません。

 

 

ps,

全身で綱を引っ張った結果、運動会翌日は、背中、胸辺りが筋肉痛。腰も痛い・・・。

 

 

対談 教えることと学ぶこと

対談 教えることと学ぶこと