一度倒れたら一度起きればよいではないか
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新年を迎うるに、新思想と新決心をもってした経験を有する人も必ず少なくなかろう。日記を書くことも毎年始めて毎年まっとうしなかったし、その他種々の工夫を案出しては、ことごとく失敗したから、もう新たに始める勇気がなくなったと自暴自棄に傾く人もあろうが、かかる人には僕は「もう一度やりたまえ」と絶叫したい。一度倒れたら一度起きればよいではないか。良きことはただ三日坊主やっても、その及ぼすところは三日や三ヶ月にとどまらぬ。善事はいかに小事なりとも、活力が潜んでいる。善事はいかに短時間なりとも永く死なぬ。ゆえに善事はいかに小さなことでも、ちょっとの間でも行うにしかぬ。新年三日間でもよいから心がけを正しくしたい。
(新渡戸稲造 『修養』「第十七章 迎年の準備」509-510頁、タチバナ教養文庫)
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あと数時間で、新年を迎えます。
今年は、というか「今年も」突っ走った1年だったと感じます。
あっという間に過ぎていきましたね。
4月からは、新採として新しい職場で新スタート。前任校で学んだことを生かしながら、少しでも子どもたちを鍛えていこうと学級経営に取り組みました。クラスでは、子どもたちから自発的に、主体的に動くために工夫しましたが、子どもたちは、よくがんばってくれました。
12月の子どもたちの姿は、4月の時と比べ、とても立派に見えます。頼もしい姿でした。
人権総合学習では、地域学習を進めながら、地域の人たちと出会い、ふれあい、関係を繋いできました。出会い学習は、こちらで用意するのではなく、子どもたちの疑問から学びをスタートさせ、子どもたちにとって意味のある出会い、必然性のある出会い学習を心がけてきました。
子どもたちが地域の人に交渉をしに行き、地域に出かけ、大切なことを学んだ2学期でした。そして、学んだことをお世話になった人、大切な人、おうちの人に届けたいという気持ちをもって、人権集会もやり切ることができました。「誰に」「何を」伝えるのかを子どもたちとこだわって取り組んできました。
人権集会が終わってからも、学んだことを行動に移そうとする子どもたちの姿がありました。嬉しい姿です。
そして、何より嬉しかったのは、保護者の方が、子どもの成長を実感してくれたことです。家庭での子どもの姿に成長を感じているという声をたくさん届けてくれました。学んだことや、学校で取り組んでいることが、学校だけではなく、地域や家庭での行動に表れているということは嬉しいです。
3学期も、子どもたちとアクションを起していきたいと思います。
皆さん、よいお年を。
ps,
長らくストップしていた日記(ブログではなく、ノートに書くもの)を再会しようかと思っています。
しかし、冬休みが明けると、また怒涛の日々が始まるかと思うと、とてもできそうにもないのですが、三日坊主でもいいからやってみようと思います。
三日坊主でも、それを三回続ければ、九日になります。
三日坊主でも、それを十回続ければ、一カ月になります。
それを1年間続けてみようか・・・。
pps,
2016年も大きく歴史が動いた年でした。
2017年も自身の歴史を刻んでいきたい。己心の魔との闘いに連続勝利の歴史を。