2012-02-01から1ヶ月間の記事一覧

人間の理想像をおのがじし胸に画いて、その実践に努めねばならない

- 最近とみに、人類滅亡の危機が叫ばれ、それを載りこそうとして、平和への道の模索が真剣に語られているが、このような危機は、いまにはじまったことではない。一万五千年の昔、すばらしい前頭連合野をいただいた現代人が出現したその瞬間から、はじまって…

子どもを教えるには、手をかけてやると同時に、目をかけてやらねばならぬ

- 近年、赤ん坊の保育にスキンシップの重要性が強調されているのはゆえなきことではない。お乳を飲ますときの肌のふれあい、だっこしたり、おんぶしたりするときの皮膚の圧迫によって、赤ん坊の心は母親のなかにとけこみ、安らいだ心で育ってゆくのである。 …

素晴らしい友人がそばにいてくれれば、心が癒される

- しかし名前は知られなくとも、この人たちの影響は、恩恵を与えた人々の人生の中に、永遠に留まることになるのだ。人生の記念すべき日―――。それは、一流の詩のように、私たちの心を躍らせる人と出会った日だ。握手をしただけで、もの言わぬ思いやりの心が伝…

「自信を持ちなさい」というよりも、ほめるほうがはるかに自信を持つ

- なぜ、子どもはほめられると“やる気”がでるのでしょう。 第一に、それは、ほめてくれるお母さんの顔がにこにこしていて、声が明るいからです。子どもはお母さんの顔と声に最も関心が高く、敏感です。じつは、赤ちゃんの時でもほめてあげれば、顔と声で十分…

近況報告

こんばんは。少し暖かくなってきましたね。週末はまた寒くなるそうですが。引き続き、体調管理には気をつけたいです。 さて、今日の夜、教育委員会から電話がありました。講師についてです。市の教育委員会に講師登録をし、市内の小学校へ勤務できるかと思っ…

生きている人たちが思い出してくれて、目がさめるのを待っているんだよ

- おばあさんチル でも、お前たちあの日わたしたちのこと思い出したろう? チルチル ええ。 おばあさんチル それごらん。わたしたちのことを思い出してくれるだけでいいのだよ。そうすれば、いつでもわたしたちは目がさめて、お前たちに会うことができるのだ…

習慣は第二の天性を作る

- 年一回ぐらいでなく、毎月、毎日、もしくは一日中に三度も四度も自分の発心に注意しなければ、勢いそれが鈍くなりやすい。習慣は第二の天性を作るというが、毎日幾回となく、発心に注意すれば、すなわちこれ発心を継続することである。その間にいつしか習…

子どもたちに名作を与えておきながら、自分が読まないのは犯罪だよ

- 教師も親も子供の成長のために何かをするよりは、じっと見守ることの大切さを毛利さんは指摘され、私のエッセイ『おはなし おはなし』のなかの「ただ座っていること」の難しさに触れた部分に言及される。教師が子供に何やかやとしたり言ったりするときは、…

ばかは死ななければなおらない

- つまり、われわれはここで、愚者と賢者の間に永遠に存在している相違そのものにつきあたるのである。賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを肝に銘じている。だからこそ、すぐそこまでやって来ている愚劣さから逃れようと努力を続けるので…

星占いが何の役に立つのでしょうか。娘をめとることこそが実に〔めでたい〕星ではないのですか

- 迷信・ドグマの排除 バッタチャリヤ博士の挙げられた二番目の「迷信やドグマや占いを排除した」ということを聞くと、多くの人は「あれ?」と思われるのではないだろうか。多くの日本仏教を見ていると、迷信的なことが多いように見受けられるからだ。 筆者…

役職が上だからといってその人物のいうことが正しいわけではない

- 私は、強い組織、伸びる組織をつくるには、人と人がつながりを深め、お互いを“信頼”することから始めなければならないと思っている。 では、その“信頼”は何から生まれるのか。それこそ、孔子のいう「正義」「礼節」「謙遜」「信義」なのではないだろうか。…

考えたことがないのなら一回ぐらい考えておけ。それでも罰は当たらんぞ

- だが実は、自分は評価に値する人間だと思っているのは本人だけで、周囲の人はまったく評価していないということがよく起きる。天性のみを当てにして、“謙虚さ、素直さ”という、人として大切なものを身につけていないがゆえに、チームのなかで浮いた存在と…

小事が大事

- 私の好きな言葉に「小事が大事を生む」というのがある。いきなり大きいことを目指すのではなく、小さい事柄を積み重ねてこそ大きな目標が達成できるという意味だ。 それを体現している選手のひとりが、前述したイチローだ。二〇〇四年、イチローは262本…

実践の法則はあくまでも実践自身から見いだされねばならぬ

- 理論哲学は、理論の理論なるがゆえに、学の事実にもとづいていてよい。しかし実践哲学は実践の理論である。実践の法則を求めるのに学の事実にもとづくわけには行かない。学はたとい実践的なるものの学であっても、それ自身理論である。学の事実から見いだ…

早期「発見」の目的は、早期「対応」にあるのではなく、「理解すること」にある

- ここまで考察してきたように、発達障害はその障害像があいまいで、かつ多様です。そのため書籍やインターネットで紹介されている発達障害の行動特性が、目の前にいる子どもの印象にピタッと当てはまるかというとそうではありません。それもそのはずです。 …

「いつもただつぎのことだけを」考える

- 「なあ、モモ、」とベッポはたとえばこんなふうにはじめます。「とっても長い道路をうけもつことがあるんだ。おそろしく長くて、これじゃとてもやりきれない、こう思ってしまう。」 しばらく口をつぐんで、じっとまえのほうを見ていますが、やがてまたつづ…

あの子たちがこの学校にきて、なにかたのしい思い出をもって帰ってくれたら、それで十分なんだ

- 「おれはこの学校にきて十年になる。毎日が冒険だ。さて、なにをしでかしてくれるか。興味津々ってやつだ。あんたたちの学校なら、おおきくなった卒業生が挨拶にくるなんてこともあるだろう。立派に育って、社会人になったりしてな。なかには教師よりも出…

法門をもって邪正を糺明すべし。利根と通力によるべからず

- およそ人間の文化の歩みにはきびしく正しい方向がなければならない。その方向をたどってこそ進歩はあり得る。 が、その進歩をもたらすための欠くべからざる要因は何であろうか? 第一に、心の田、知恵の海の開発でなければならなかった。心田をよく耕し、…

実はどのような情報も、それ自体が真実を語っているわけではなくて、本当のところはどうなのかを自分で考えるための素材でしかない

- あれがダメならこの手があると、自ら解を求めていくことができるか。 時々、カメラマンで「自分は才能はあるのに報われない」と言う人がいます。でも、それは言い訳だと思います。そういう人に限って、編集部への売り込みのために自ら動くことはなかったり…