倫理

一瞬にして「敵はいないよ、安全だよ」と知らせ、仲間たちの緊張と不安を和らげてあげるためのサイン

----- 笑いの起源について、進化論を発表したチャールズ・ダーウィンは、非常に重要な仮説を打ち立てている。かの「偽の警告仮説」である。 「笑い」は、動物が群れをなして生活するなかで、仲間同士の「伝達=コミュニケーション」の必要性から生まれたとい…

戦争ほど悲惨なものはない【沖縄旅行記(1-1)】

----- 戦争を可能にする病理とは、観念が実現するという思い込み、つまりウィッシュフル・シンキング、現実を否認する思考だ。その否認される現実の中に、旧日本軍の場合は「兵士が肉体を持つ」という事実が含まれていたようだ。 日本軍の体質にそれがあっ…

あの友をあざむいてはならない

- おまえの心に 物憂さが、おまえの目には まだ まどろみが 去りやらぬ。 茨のなかで 花が絢欄と咲きほこっている―――そんな便りが おまえのもとに まだ届いてはいないか? 目覚めよ、おお、起きよ! むなしく時を過ごしてはならぬ! 石ころ道の行きつく涯(は…

天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず

- 「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」という諺または教訓が、孟子の時代にはやっていた。天の時とは、城攻めにさいして、木火土金水の五行の運航に応じて、その年、その季節、その月、その日に定められた吉凶の方角のあるのをいうが、これ…

人民に吉であることは、自分にも吉である

- 北魏の酈道元(?−五二七年)の『水経注』(巻二十五)によると、邾の都の北に嶧山の岩山が高くそびえていて、岩の洞穴がつづいていて、戦乱のさいにはここにのがれて戦禍をさけるといっている。その要害の有様は、現在の紀王城と一致しているので、ここが…

目に見えないこの暴風の含む不正の波も腹の底から憎かった……

- この大悲劇の原因の根はいったいどこに求めたらよいのであろうか……。 ある者は江戸時代の庶民が泰平の夢をむさぼり過ぎたのだという。されば、泰平とか平和とかを永続させることは罪悪なのであろうか? またある者は、鎖国が日本人を文明の進歩から除外し…

純粋な理性というのは、肉体のかけらも含まない

- 合理的選択モデルは、その枠組みが使える場面では有効性を発揮するかもしれない。ヘッジファンドの手口などでは、うまくいくケースもありそうだ。しかし、そういう場面はきわめて限られている。使われる舞台が、人間の感情をほぼ完全に除去した数値計算の…

あるがままのものを認識し、できることを意志し、最後に、起こることを愛すること

- 話の締めくくりとして、ただ次のことだけをもう一度強調しておきたいと思います。すなわち、願望の対極にあるのは恐れではなく、知と力と享受なのです。一言で言うなら、といっても実際には三語になりますが、願望することの対極にあるのは、認識と活動と…

そんなものは想像の産物でしかない。といっている間は・・・

- 「差別や偏見のない世界。そんなものは想像の産物でしかない。人間というのは、そういうものとも付き合っていかなきゃならない生き物なんだ」寺尾の目を見据え、自分でも驚くほどの落ち着いた声で直貴は語っていた。目をそらしたのは寺尾のほうだった。 (…

生死を度外視して、要するになすべきことをなす心構えこそが大切

- 松陰はかつて門下生の高杉晋作から、「男子の死すべきところは」と質問されたことがあった。それに対して明確な答をしまいままだったが、江戸送りとなり、死に直面してはじめて悟るところがあった。松陰が高杉にそのことを教える大要次のような手紙を書い…

子どもを教えるには、手をかけてやると同時に、目をかけてやらねばならぬ

- 近年、赤ん坊の保育にスキンシップの重要性が強調されているのはゆえなきことではない。お乳を飲ますときの肌のふれあい、だっこしたり、おんぶしたりするときの皮膚の圧迫によって、赤ん坊の心は母親のなかにとけこみ、安らいだ心で育ってゆくのである。 …

実践の法則はあくまでも実践自身から見いだされねばならぬ

- 理論哲学は、理論の理論なるがゆえに、学の事実にもとづいていてよい。しかし実践哲学は実践の理論である。実践の法則を求めるのに学の事実にもとづくわけには行かない。学はたとい実践的なるものの学であっても、それ自身理論である。学の事実から見いだ…

「関係性」とは心のつながり

- 河合 僕がさっきいった話ですけどね、関係性と生命現象。これ、あんまりみんないわないんですが、ものすごい大事です。でも実際にやると、経験的にうまいこといくでしょう。すると、「この方法は科学的に正しい」と思ってしまうわけですよ。そこには方法論…

私の個性が本ものになるためには多くの影響が必要だった

- 仏教には時節到来という言葉がある。人間に働いている仏の心を知るには時節を待たねばならぬの意味である。おなじように縁についても、それが理解できるのは人生の時節を待たねばならない。 基督教のほうでは縁という言葉はない。おそらく縁という言葉は基…

やっぱり他人と私はつながっている

- あるいは、例えば電車のただ乗りというのをしているときに、車内に自衛隊の人が来ると、車掌さんに見えるんですよ。車掌が来た!というんでドキッとする。ただ乗りしていない人には自衛隊の人は自衛隊の人に見えるんですが(笑)。それはただ乗りをしてい…

私は人から危害を加えられるのは嫌である。ということは、ほかの人も嫌だろう。だから私はほかの人にこういうことをしないようにしよう

- バッタチャリヤ博士の挙げられた三番目、「西洋的な倫理観を説かなかった」というのは、少し説明が必要だろう。西洋における倫理は、まず天地を創造し、生き物を産み出し、人間を創りだした絶対神のゴッド(God)が前提となっている。その絶対神に対する約…

医療者側の温かさは多くの患者にとって薬や手術と同じくらいの大事な治療方法である

- 今日まで私はかなりの数の手術を受けてきたので、いささか「手術ズレ」をした男だが、しかし何度受けても手術は手術である。嬉しいものではない。不安だし、気味わるい。 それが証拠に、入院して表面は平静を装っていたが心の動揺は手術前日の検査ですっか…

1対1の対話

こんばんは。机の上で本を開き勉強することも大切ですが、やはり、人と会って、対話することのほうが学ぶことは多いです。友人でも、心の奥から思っていること、感じていること、考えていることを 率直に話をすることで、初めて気づくこともあります。いわゆ…

世の中へ出てゆけば、たちまち、俗衆と同視せられ、毀誉褒貶の口の端にかかって、身も名も汚される

- 「石を玉と見せようとしてもだめなように、玉を石と仰せられても、信じる者はありません。いま、先生は経世の奇才、救民の天質を備えながら、深く身をかくし、若年におわしながら、早くも山林に陰操をお求めになるとは―――失礼ながら、忠孝の道に背きましょ…

なぜ「美徳」がまず私に要求され、まず「他者」には要求されないのか、それを相互性のモラルは説明することができない

- もう一つの「自由の歯止め」として、ボーヴォワールは「美徳」を挙げているのである。彼女はこの美徳を「相互性」の上に築こうとした。主人と奴隷の相剋を乗り越える可能性についてボーヴォワールはこう書く。 このドラマは一人一人が、他者を自発的に認知…

「自分の城」を築こうとする者は必ず破滅する

- 自我というのは自尊心でもあり、エゴでもありますから、自分を主張したい、守りたい、あるいは否定されたくないという気持ちが強く起こります。しかし、他者のほうにも同じように自我があって、やはり、主張したい、守りたい、あるいは否定されたくないの…

師の他者性は「私」を起点にしてしか「かたち」をとることができない

- 師が他者である、というのは単に師が私とは別人である、というような意味ではない。そうではなくて、師は弟子である私にはとても理解が届かない知的境位にいるのだけれど、その「理解の届かなさ」は、弟子である私に固有のものであって、私以外の誰も(師…

日本の場合は、どうしてもコミットしだすと、みんなベタベタになるというところがある

- 河合 いまの若者たちもやっぱりデタッチメントの気分は非常に強いですよね。コミットするやつは、端的に言えば、バカだと、そのぐらいの感じがあるんじゃないでしょうか。デタッチメントであるのを、クールで格好いいことのように思っている。 村上 ただ、…

ものを考えるということは、自分自身を相手に行う対話なのであり、自分自身を批判的な吟味にかける営み

- プラトンにとって、哲学とは、紙の上に書かれた既成の理論や学説のことではなく、問題を批判的に考察して真理を探究していく知的営みそのものでした。ものを考えるということは、自分自身を相手に行う対話なのであり、自分自身を批判的な吟味にかける営み…

夏期スクーリング2011

こんばんは。8月12日〜16日まで、大学の夏期スクーリングに行って参りました。前日から東京に入り、6日間のキャンパスライフを存分に楽しむことができました!「学は光」ということも再認識でき、学問の道を勇んで突き進もうと決意できました!同じく…

真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。

- ・・・ある一つの職業の偉大さは、もしかすると、まず第一に、それが人と人を親和させる点にあるのかもしれない。真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。 物質上の財宝だけを追うて働くことは、われとわが牢獄を築くことになる…

人びとの状況に応じて、世の中の「文脈」に即して、柔軟に対応していくリーダーシップ

- 金氏との対談は2009年の春に実現したのですが、そのときにもっとも印象に残った言葉は、「私は民衆の半歩前を歩く」という一言でした。 一歩ではなく、半歩。ましてや十歩ではない。そこが、金氏のリーダーシップのミソです。 十歩前を行く人というの…

暴力の無意味

- 老悪魔は、自分のたくらみがうまく運ばないのをみてとると、タラカン王のところへ行って、王にとり入った。 「いかがでしょう」と彼は言った。「ひとつ戦争をしかけて、イワン王の国をとってしまおうではありませんか。あの国には金こそなけれ、穀物、家畜…