ネットの情報は信頼できないというが、それは当たり前

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 現代の日本の時代相を表現するのに、「ダイナミック」という言葉ほどふさわしいものはない。
「ダイナミック」とは「動的」という意味に解していただいて結構だが、私はそれに「非常に」という副詞をつける必要を、感じないではいられない。
 激烈なダイナミズムを胚胎したこうした時代は、過去の日本にも存在した。
 例えば、幕末である。
 しかし、幕末の激変動と現代日本のそれを比較してみて気づくのは、前者が二つ、または三つの明確な立場がそれぞれに長期的な目標をもってぶつかり合った結果生じた激変であるのに対して、今の日本の激変は、多様化した価値観が互いに衝突し合い、複雑な変動をとげていることに特徴がある。
 数学には、「古典解析学」という分野がある。この分野の数学の根本理念は、原理と、出発点での条件さえ明らかになれば未来が予測できるということにある。この古典解析学的方法は、幕末の激変に対しては通用したかもしれない。しかしそれは、今の日本にはあてはめることはできないのだ。それゆえ、あと二十年足らずで迎える二十一世紀の日本がどうなるのかということは、現代の変動がそのように見通しのきかない変動であるために、容易に予測できないのである。
 ただいえるのは、この特異なダイナミズムにますます拍車がかかり、変動がさらに大型になり、急速になり、複雑になり、そうして個々の価値観が今以上に多様化するだろう、ということである。
 若者は、あるいは私も、そういう二十一世紀に突入し、その中で生き抜いていかなければならない。
 では。私たちはどうしたら、このような激動の時代に対処できるのだろうか。
 私たちにこれから最も要求されるのは、自分自身の判断力(多様な人生を生き抜く選択の知恵である)と考える力だと思う。
 原理とか、原則とかに固執していては、多様性と、変動に対処していけないのである。変動と多様化に対処するための教科書は存在しない。自分自身で素心になり深く考え、その結果、最も賢明な選択をすることだけが、残された唯一の方法だと私は思うのだ。
 こういうといかにも多難な時代のようであるが、実は私は、逆にむしろいい時代だと思っている。変動し、多様化する時代こそは、個人が自己の可能性を発揮しやすい時代だからだ。
 十人十色というけれども、人は生まれた時に、すでに一人ひとり異なっている。外面だけではなく、性格、資質といった目に見えない部分も違う。だから、人それぞれ可能性は、当然、多種多様であるべきはずなのである。
 ところが、人はともすると、この多様性に目をつむりたがるのだ。なぜか。安心したいからである。あるいは迷いたくないからである。例えば、一流大学に入り一流企業に就職するという、いわゆるエリートコースに身を置けば、迷うことなく、不安にかられることもない、と人は考える。それゆえ、多様性に対して、人は目をつむりたがるのだ。
 変動は、上は上、下は下といった、こうした直線的な進み方を変えるだろう。人はもはや、多様性に対して目をおおってはいられなくなるのだ。自分自身の可能性を懸命になって掘り当て、独自の生きがいを創造しなければならなくなるのだ。
 社会も、また、そのことをすべての人に要求せずにはいられなくなるに違いない。独自の生きがいを創造できずに、変動に置いてきぼりにされ、多様化に見放され、絶望感に支配された人間が比重を占めるようになっては、社会はおびただしく混乱し、悪くすれば、覆ってしまうからである。
 独自の生きがいを創造するために、自分自身の中に眠っている可能性を掘り当てていかなければならない。それがいかに難しいことでも、苦労を伴うことでも、時代を生き抜くためには、そのことが必要になってくるのだ。


広中平祐『生きること学ぶこと』「第四章 自己の発見」221頁−224頁。集英社文庫)

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今朝の茂木健一郎氏のツイートにもありましたが、

「ネットは、多種多様な情報源に自分で能動的に接し、認識し、判断するという点において、マスメディアとは異なる態度を醸成する。よく、ネットの情報は信頼できないというが、それは当たり前で、マスメディアの情報だって鵜呑みにしてはいけないことでは、変わりがない。」

「ネット上でも、一部の情報を鵜呑みにして拡散したり、論を立てたりしている人を見かけるが、従来のマスメディアに対する接し方のモデルを、そのままネットに当てはめてしまっているのだろう。私たちはもっと能動的で、選別的になって良い。変化はそのうちマスメディアにも必ず波及する。」

情報が溢れかえっている時代こそ、自分の脳を鍛えられるのだという。

根拠のない情報源を鵜呑みにしてしまう。
まったく迷惑な話ですw


広中平祐氏は、京都大学理学部卒。ハーバード大学大学院数学科博士課程修了。「複素多様体特異点に関する研究」でフィールズ賞を受賞したというエグイ経験を持つ人です。
フィールズ賞というのは、4年に一度、数学の世界で画期的な業績をあげた学者に送られる賞であり、その世界では、最も名誉とされる賞。
数学界のノーベル賞みたいな。

それは置いといて・・・。

幸いにも、ボクは「独自の生きがいを創造できるもの」を自分なりに持っているので、あとは、価値観が多様化する社会で生き抜く「判断力」と「考える力」を鍛えなければなりません。

それにしても、生涯学習の時代と言われていますが、ホント、そう思います。

何も数学とか国語(も大事だけど)だけじゃなく、社会で生きていくための「判断力」等々は、大人こそ身につけていくべきでしょう。

これは、フツーに生活してて、身に付くものでもないですヨ。

やっぱ、「学ぶ場」がないと!

これは、どこにでもありますし、人間が2人いれば、そこは「学びの場」になります。

その人次第ですけどね。


今日も学んだ!

明日も!ですね。

ではまた。


生きること学ぶこと (集英社文庫)

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