医療者側の温かさは多くの患者にとって薬や手術と同じくらいの大事な治療方法である
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今日まで私はかなりの数の手術を受けてきたので、いささか「手術ズレ」をした男だが、しかし何度受けても手術は手術である。嬉しいものではない。不安だし、気味わるい。
それが証拠に、入院して表面は平静を装っていたが心の動揺は手術前日の検査ですっかりばれてしまった。正直なもので血圧があがっていたのである。
看護婦さんが、「大分動揺しておられますけど、心配しないで」と笑われた。面目なかった。
だが、この不安は執刀の先生と麻酔の先生との実に丁寧な説明によってほとんど取りのぞかれた。レントゲンを示しながら手術で除く部分とその理由や、今までの例からみても心配のいらないことをわかりやすく教えて頂いた。麻酔の先生は手術室に入ってからも麻酔のかけかたを順を追って説明してくださったし、実際、当日、手術室でも「次はこうします。チクッと痛いだけで心配いりません」とそばで声をかけながら麻酔をなさった。
おかげで不安もなく手術を終え、病室に戻った。
この両先生の丁寧な説明とその後、退院するまでの看護婦さんたちの実に細かい心くばりや、あたたかい励ましに私の治癒力はどれくらい倍加したかわからない。私は次第にこの人たちの指示や言葉を信頼するようになり、それが素直に体力の恢復につながった。
貴重な紙面を使って、夏の個人的な手術体験を御披露したのは理由がある。
それは、医師や看護婦さんの患者にたいする姿勢や心くばりが病人の恢復上、どれほど大事であり有効かを私自身の体験からお伝えしたかったからである。言いかえるならば私がその病院で受けたような医療者側の温かさは多くの患者にとって薬や手術と同じくらいの大事な治療方法であると私は言いたいのである。
(中略)
お医者さまのなかにはいまだに患者の質問を嫌う人がかなりいる。「素人が聞いたって意味ないじゃないか」という医者もいれば、患者が「私は風邪でしょうか」と言っただけで「そうと自分でわかっているなら、医者のところにくるな」とお怒りになる方もいる。
こうした扱いを受けた患者は傷つく。傷つく理由は叱られてということではない。そこには医師と患者との人間的なコミュニケーションをぷっつりと切る何かがあったからである。たしかに患者は医学について素人である。しかし患者は素人でも素人がわかるように病気について説明してくれ、薬について説明してもらいたがっているのだ。それはこれらの説明によってこそ自分が体をあずけるその医師を信頼できる切っ掛けになるからである。
そう、まず患者の心には自分のかかっている医師を信じたいという欲求があることを医療者側は何よりもわかったいただきたい。患者は信じることのできぬ医療者に体や命を托すことはできぬ。その信頼欲求には当の医師の医術と共に人間的に信じられることも含まれている。
その条件として患者は自分の病気や治療方法に説明を求めるのだ。だがそれを冷たく拒絶される時、患者の信頼感は途端にうすれてしまう。相互の信頼感の希薄な医師患者関係では恢復がハカバカしくないことはよくあることだ。信じている医者がくれる薬はたとえにせ薬でも患者の病気を好転させる場合さえある。
説明を求める患者心理にはまたこの「信じたい」という気持ちのかくれていることをお医者さまに考えていただければ幸いである。
(遠藤周作『生き上手 死に上手』「患者の切望」156-159頁、文春文庫)
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医師と患者の関係についてですが、
同じく、
教師と児童・生徒の関係を考える上でも示唆に富む一文だと思いました。
そして、
医療、教育の分野のみならず、
地域社会、友人関係にも同じことが言えるのではないかと。
人間関係全般でもそうですが、“信頼関係”が成立していなければ、自分の言うことも信じてもらえないし、
信用してもらえませんね。
まずは、コツコツと信頼関係を築き、相互に信頼し合える関係をつくっていければ、
困難な仕事にしても、解決し難い問題に対しても、
何があっても、乗り越えていけるのだと思います。
その“信頼関係”をつくっていくためには、「自分から」動かないといけないのですね。
要は、信頼してもらえる自分になれるかどうか。
そして、相手のことは信じきること。
この2点を押さえ、友好関係を広めていきたい。
話しがずれる前に終わりますw
では、また。
- 作者: 遠藤周作
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 1994/04
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