常に多くを学び加えつつ年老いん
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人生の単調さとそれから生ずる味気なさを思えば、かなりの期間生きつづけてきた人には、人生がたまらなく退屈に感じられるようになるであろう。その退屈さからわずかに救ってくれるのは、全体として大まかにみれば、認識と洞察がたえず進歩し、あらゆる物事について次第に判明な理解が増すということが、ともかくも依然として続いていくという事情である。これは、ひとつには円熟と経験の賜物であるが、またひとつには、さまざまな年齢によってわれわれ自身がいろいろの変化をこうむり、これによってある程度はたえず新しい見地に立たされて、そこからして物事がわれわれに未知の側面を示し、いままでとちがった姿で現れてくるということに帰因している。それだから、精神力の強度は次第に衰えてゆくけれども、いわゆる「日日に新たに学ぶ」ということが、相変わらずたゆみなく打ちつづき、同一のものでもいつも変わった新しい姿を示すので、人生全体にいつまでも目新しい魅力をふりまくことになる。いくらか考え深い老人たちが、みなソロンの「常に多くを学び加えつつ年老いん」という言葉を座右の銘にしているのは、このためである。
ついでに言うと、われわれの気分や感情のさまざまな移り変わりにも、年齢の別なく、いつでも上に述べたものと同様の効能がある。この変化のおかげで、われわれは物事を日毎に別な光のもとで見るからである。この変化も、われわれの意識と思考に影響して、その単調さを少なくする。それはちょうど、美しい風景にたえず変化する照明があたると、その尽きることのない多様な光の効果のために、すでに百回もみた風景が、あらためてわれわれを魅了するというのと同様である。こうして、気分が変われば馴染みのものでも目新しく見え、それが新しい所見や思想をよびさますわけである。
(ショーペンハウエル、細谷貞雄訳『知性について 他四篇』「知性について」99-100頁、岩波文庫)
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平日は、仕事のことでいっぱいいっぱいで、なかなか読書できないんですが、休日になると、来週の準備をしつつ、空いた時間で少しずつ読書していくわけです。
学校の先生というのは、常に学び続けなければならない職業ですが、今の自分の力量と仕事内容からして、なかなか勉強する余裕がないわけです;
もちろん、日々の実践から学ぶことはたくさんあります。子どもたちや先輩先生方の姿を目の当たりにし、子どもへの対応、保護者への対応、教職員間での学び合い等々、机上では決して学べない、経験できないことが毎日あります。これが本当の学びだと思います。
しかし、教員採用試験の勉強、中学校の免許取得の勉強、その他幅広く勉強や経験をしてみたい。これも“学び”だと思いますし、まだ若いこの年齢の時に、少々遠回りしても勉強に費やす時間は大切だと思います。
大学のあの雰囲気で学びたいというのも正直なところ・・・。
来年度、どういう立場になるか分かりませんが、もっともっと勉強し、大きく成長していける修行の年としていきたい。
と、まぁ、来年度のことを視野に入れつつ、今の職場でもとても貴重な経験をさせていただいております。担任という責任ある立場で学ぶことは、机上の比ではありません。
「気分が変われば馴染みのものでも目新しく見え、それが新しい所見や思想をよびさますわけである」ので、今の“壁”もちょっと見方を変えて、新たな学びのきっかけとしていきたいですね。
ps,
どんな立場であれ、学び続けることは大切なこと。
人間として、人間らしく生きていくために。

- 作者: ショーペンハウエル,Arthur Schopenhauer,細谷貞雄
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