戦争ほど悲惨なものはない【沖縄旅行記(1-1)】

 

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 戦争を可能にする病理とは、観念が実現するという思い込み、つまりウィッシュフル・シンキング、現実を否認する思考だ。その否認される現実の中に、旧日本軍の場合は「兵士が肉体を持つ」という事実が含まれていたようだ。

 日本軍の体質にそれがあった。とまでは思いたくない。でなければ日清・日露の戦役は戦えなかったろうから。昭和の戦争で、難戦・激戦になるにつれて、兵士の肉体性というのはほとんどなきに等しきに扱われた。第一次上海事変で登場した<肉弾三勇士>という英雄譚がその好例で、肉体をもって爆弾に代える、そうせよという命令。肉が爆弾になるというメタファー、これ以上の肉体軽視はない。肉体を軽んじ精神を高みに置く、昭和の最初の20年間を貫く「思想」のプロトタイプとでもいうべきものだろう。この三人の勇士を貶める意図は微塵もないが、この思想は徹底的に批判されるべきだ。

 

(計見一雄『戦争する脳 破局への病理』「第三章 兵士の肉体性」112頁、平凡社新書、2007年)

 

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12月25日(火)

大阪の関西国際空港から出発。

 予想通り、沖縄は暖かい気候でした。

那覇空港に到着後、レンタカーで移動。

 

まずは、

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沖縄平和祈念資料館。

沖縄の歴史、戦争の悲惨さが残っています。

戦争の犠牲となった子どもたちや老人の写真を見た時は衝撃でした。話を聞くよりも、実際に見た方がもちろんインパクトはある。

 

人間を人間でなくする戦争。

日本兵の中にも、戦争を反対していた人もいると思います。が、多くは、教育によって、国のために戦う、国のために死ぬことが名誉なことだ教えられ、日本は軍国主義の道を突き進んでいった。死体の山を越えていった兵士たちは一体どんな心持でいたんだろう。目の前で自分の子ども、親が殺されるのを、親や子どもたちは、どんな心境に立っていたのか。想像もできません。

戦争を経験していないですし、もちろん経験したくもない。戦争の背景等はまだまだ勉強不足で、わからないことも多くありますが、しかし、いかなる理由があろうとも、戦争だけは決してしてはならないと言えますね。

日本が外国の植民地にされようとも、決して武力で応戦してはならないと思います。新たな時代を拓くのは、「対話の力」によってのみ拓かれるものだと確信します。

一度、戦争を始めてしまうと、後戻りすることは難しいです。ましてや、失われた命は二度と戻ってきません。心に残る傷も消えません。

戦争を認めてしまう思想・教育によって、本来、人間らしく生きていた国民から人間性を奪い取り、やがて地獄へと引き下ろしていく結末になってしまいました。

戦争の怖ろしさとともに、教育のもつ力の大きさも改めて感じました。

 

戦後の歴史も資料、写真、年代表等で学べます。

権力者の横暴な政策によって、犠牲となってきた沖縄。沖縄こそ、平和への発信地であるとともに、不幸の道を歩んできた地だからこそ、一番幸せになってほしいと思いました。

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次に向かったのは、富盛大獅子。

シーサーの元祖みたいなものだそうです。守り神のシーサーだが、この大獅子は、火除け。つまり、火事の守り神だそうです。

そして、この獅子は、沖縄のシーサーの中で一番大きく、一番古くにつくられたそうな。だから、元祖なんだね。

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よく見ると、いくつかの穴がありますが、これは銃弾の跡です。

太平洋戦争で、唯一、地上戦が行われた沖縄。各所で戦争の跡が見られます。

 

その後、宿泊所へ移動。

民宿コバルト荘に車、荷物を置き、夕食へ。

長い夜の始まりです・・・。(続く)

 

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戦争する脳―破局への病理 (平凡社新書)

戦争する脳―破局への病理 (平凡社新書)