どうすれば無上最大の幸福に到達することができるかという手段方法を知っている

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 世には偉大なる人格の感化を予想して人格教育を叱呼する者が多い。社会は勿論これを渇仰してやまない。その精神は誠に結構である。然し結構すぎて実際の生活には不可能な空論である。何故ならそのような人格者は何百年か何千年かに一人しか出現しないからである。
 況して仏教の上に予言されている末法の時代とは今である。末法にして生れている人間は馬鹿で嘘つきで欲ばりで腹を立てて喧嘩ばかりしているというのが予言であり、正にその通り自分自身をかえりみても又周囲の人を見ても、国内国外の情勢を見ても全くこの予言に一分の狂いもない。このような時代に何を標準として人格を決定するか。先ずその人格の内容が疑問である。生れてから一度も嘘を言わないと確信を以て断言する人間があるか、あると云えばそれこそ第一の嘘つきである。
 故にこのような時代においては、学校教育においても社会教育においても、指導主義―――指導法が確立されなければならない。自分自身が現在何の不安も悩みもないという必要はない。自分は悩みもあり不幸でもあるが、「どうすれば無上最大の幸福に到達することができるかという手段方法を知っている」人であるならば、その道へ入らしめ、その道を真直ぐに進むよう指導すればよいのである。これこそ最も実際に適した教育法である。


牧口常三郎戸田城聖補訂『価値論』「第六章 生活指導原理としての価値論」173-174頁、第三文明社、レグルス文庫111)

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先ず現状を認識することから。

空論ではなく、現実生活から出発しなければならない。

で、人ではなく、法を見よ。
ってことですね。