友との語らいから
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私が小学校の3年生を受け持っていたときのことです。あるお母様から娘のことで相談にいらっしゃいました。
「先生、うちの子は、もう3年生になるというのに、家ではまだお人形遊びばかりをしているのです。幼いのです。勉強もしないでお人形遊びばっかりなので、勉強するまではお人形さんを取り上げているのですが、たくさん持っていてすぐに出してきて遊んでいます。困っているのです。こんなことでよろしいのでしょうか。これから先がとても心配です。どうしたらよいのでしょうか」
ということでした。
翌日その子に聞いてみました。
「あなたはお人形さんが好きなの?」
「うん、大好き」
「お人形をたくさん持っているんですって?」
「うん、私がお人形さんを好きだから、パパもおじいちゃまも、どこかへ行くと必ずそこのお人形さんをお土産に買ってきてくれるの。私うれしくって」
「あ、そうなの。じゃあお人形さんをたくさん持っているんだね。それじゃあ先生にお人形さんのことを教えてくれないかなぁ?」
「うん、いいよ」
それからというもの家では、「先生に教えてあげるのだから」と言って、堂々と人形を出すようになりました。お母様も、どうなるものかと見守っていたそうです。
それから数日たって、その子が大きな模造紙を抱えて学校に来ました。見ると模造紙いっぱいに大きな世界地図が描いてあり、フランスにはフランス人形の絵を切り抜いて貼ってあります。メキシコには、メキシコ人形が、日本には日本人形がというように、それぞれの国のところに、その国の民族衣装をまとった絵が貼ってありました。世界地図はお母様に手伝ってもらって描いたそうです。
私は感心して、その大きな模造紙を教室の後ろの壁に貼って展示しました。そして、
「あなた、すごいじゃない。世界のお人形さんのことがよく分かるよ。これを作るのは大変だったでしょう」
「うん。でも、ママが手伝ってくれたの」
「良かったねぇ。立派なものが出来て、すごいじゃない」
その子は4年生になって、自由研究をさせたときには、図書室で調べ、「ふくそうとかみがた」という題で、縄文時代から現代に至るまでの時代別の男女の服装と代表的な髪型の絵をノートに描いて説明文を付けて提出しました。
人形から、服装・髪型に興味が移っていったようでした。その子は、人形が好きだったので、いつの間にか世界地図と日本史の時代区分に興味を持ち、社会科の勉強が好きになりました。
(中山理『算数再入門』「はじめに―――数の世界の入り口」鄯-鄴頁、中公新書)
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その子は、世界に通用するデザイナーになりましたとさ・・・みたいな勝手な想像をしているわけですがw
日本の場合、学校の成績表から親や教師が読み取るのは、「あぁ〜数学はいいけど、社会がちょっと悪いね〜。次は社会を頑張ろう!」
みたいな感じだそうです。
アメリカでは、「おぉ!数学がイイじゃないか!将来は数学博士とか設計士とかになれるんじゃないか?!数学をどんどん伸ばしていこう!」
みたいな感じだそうです。
国による違いが本当にあるのかどうかは、全く関係ありません。
もちろん、苦手科目の克服も大事だとは思いますし、幅広く教養・知識を身につけた方がイイ。でもそれ以上に、自分の長所をどんどん伸ばし、その子の可能性を広げていくことも大切だと思います。
親や教師によって環境も違いますし、子どものもっている可能性は、どこでどんなふうに開花するかは分かりませんが、あらゆる可能性を秘めていることは確かなので、それを信じることは忘れないでおきたい。
好きなことなら、どんどん取り組むし熱中する。それによって、さらに才能の芽が伸びていく。
「自身の使命を自覚した時、才能の芽は急速に伸びる」
至言です。
いくつになっても、社会人になっても、秘められた可能性は、誰にでも持っている。
夢を諦めて、満員電車に揺られ、上司にペコペコし、残業で疲れた心身を夜の街でストレス発散、家に帰れば、煙たがられる。
(偏見でスンマソw)
そんな人を見ていると、なんて勿体ない人生を生きているんだ!と思うわけです。
いや、夢がなかったらそれでも辛抱できると思うんですが、(少なくとも“お金のため”“家族のため”という状況もあるので)
しかし、夢があって、それを諦めて、本当に自分の望みもしない仕事に時間(命)を使っていくのはどうかと・・・。
様々な意見があると思いますが、ここで焦点を当てたいのは、「仕事」
人生の大半を占める「仕事」
もちろん、自分の望み通りの仕事に就けたとしても、社会は厳しいですから、悩みや困難、苦労は付き物です。
でも、どうせやるなら、自分のやりたいことをやって、苦労したい!悩みたい!成長したい!!
って思うのは、ボクだけでしょうか。
“やらされている苦労”と“自らやっている苦労”では、全然違いますヨ!質が。
20代は、まだまだワカモノです。
いや、もっと言えば、生涯青春の気概で、人生を謳歌している人生の先輩方はたくさんいます。
ボクも生涯青春の気概で、夢を持ち続けて人生を走り続けたいと思います。死ぬその瞬間まで。
しかし、“現実”もしっかり見据えなければなりません。
理想論を語るつもりはない。
足元を見つめて、現実を打開していく中で、その人の人生は輝きを増す。
20代は、社会に揉まれて揉まれて、頭を打って、ボロボロになりながらも、夢を追いかけることができる最高の時間じゃないでしょうか。
もちろん、死ぬまで夢を追いかけますけどね。
仕事に関してです。
本当に自分がやりたいことをやってみよう!
大丈夫!
1日の長さは、人それぞれ。捉え方次第。
自分が変われば、環境も世界も変わるってもんだ!
言うは易し、行うは難し。
でも、行動しないと何も変わらないっす。
全ては自分次第。
ps,
5年経っても、10年経っても、50年経っても、夢が叶わなかったら・・・
いや、その5年、10年、50年は決して無駄ではないから。
夢に向かって努力してきた時間が、どうして無意味で済まされるのか!!
今のこの状況は、これまでの過去の“原因”があったからこその“結果”なわけだし、
何もせず“100年”生きた時間と、夢に向かって何か行動を起こした“1日”は、どっちが大切な時間なの?
ってことですよねぇ〜・・・。
そりゃ、何もしない1日だってありますよ。人間だものw
が、人間だからこそ、犬・猫にできないことがあるはず。
人間にしかできないことがあるはず。
さて、それは何でしょう。
僕の嬉しさに 君は舞い
君が憂うとき 僕は泣く
下を向くな どんな時も
俺達の望むその日は来るさ
だって真実とは太陽
隠すことはできないから
- 作者: 中山理
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