実はどのような情報も、それ自体が真実を語っているわけではなくて、本当のところはどうなのかを自分で考えるための素材でしかない

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あれがダメならこの手があると、自ら解を求めていくことができるか。

 時々、カメラマンで「自分は才能はあるのに報われない」と言う人がいます。でも、それは言い訳だと思います。そういう人に限って、編集部への売り込みのために自ら動くことはなかったり、撮影に出ても何も撮れずに平気で手ぶらで帰ってきたりしますから。もちろん、紛争や政変といた非常事態をターゲットとしていれば、何か起きると予測して現地入りしたのに何も起きなかったということはよくあります。そんなときでも、僕は現地に行った以上は、手ぶらで帰るわけにはいかない、と思います。プロとしての矜持ですね。ある年、ボスニアの紛争を撮影しに行ったものの何も動きがなくて、現地の女性たちの姿を撮影してきたことがあります。これが正しいかどうかは別として、あれがダメならこの手があると、いろいろな方法を見つけ出しながら自ら解を求めていくことができるかどうか。そこがプロとしての勝負どころだと思うので、現地では常に何かを「見つけたい」と思っています。いいネタは、天から降ってくるものじゃない。「いいネタはないか?」「何かおもしろいものは?」と求め続けることで、初めて見つかるものなのです。今は誰もが簡単に情報を入手できる時代ですから、みんなが思いつきそうなことだけをやっても意味がないんですよ。


情報ツールに振り回されるのではなく、嘘を見抜き、自ら考えることが大切。

 これだけ情報化が進んだ時代ですが、僕自身は若い人たちに「インターネットに頼らずに、分からないことがあれば辞書を引け、本を読め」と言いたいアナログな人間です。だって、僕たちが日々受け取っている膨大な量の情報のうち、本当に必要なものはごく一部でしょう。しかも、情報というのは、多かれ少なかれ伝える側の人間が操作しているもの。メディアでは「このコメントが欲しい」という思惑に基づいて取材して、その部分だけを強調して伝えるということが往々にして起こります。ですから、実はどのような情報も、それ自体が真実を語っているわけではなくて、本当のところはどうなのかを自分で考えるための素材でしかないわけです。でも、今、このことを子どもたちにしっかりと伝えられる大人がどれだけいるでしょうか。
 情報を正しく選別する力は、子どもたちにもともと備わっているわけではありません。それなのに、誰もが簡単に情報を発信できるようになった今は、ひとたびインターネットにアクセスすれば責任を持たずに書き込まれた情報が押し寄せてきます。しかも、便利なツールに頼りすぎることで、人が本来持っていた能力まで奪われつつある。僕たち大人が子どもに伝えるべき力は、情報に含まれてる嘘を見抜く力。そして、ツールに振り回されるのではなく、自分で考えることの大切さだと思います。


「自分は教師だ」と胸を張って言える、そんな証を求め続けていってください。

 最近、僕も歳を取ったからでしょうか。「若いっていいなぁ」と思うことがよくありまあす。でも、自分が若い時というのは、若さの素晴らしさに気づかないものです。多くの人は、社会に出てから、「あのころはよかった」「学生時代にもっと勉強しておけばよかった」と感じますよね。ただ、「若さ」や「学生という身分だからこそできること・やるべきこと」を伝えるのは、万人にできることではありません。毎日、子どもたちと接する教師だからこそ、伝えられることではないでしょうか。
 僕自身、大学を卒業するまでに何人かの恩師との出会いがありました。大学の写真学科への進学を親に大反対された僕の後押しをしてくれたのは高校の先生でしたし、大学では写真技術の評価がめちゃくちゃ厳しい先生の下で鍛えられました。当時は僕が撮った写真をけなすばかりで、どうすればよくなるのかを教えてくれないことが不満だったのですが、今から振り返れば、先生が教えてくれなかったからこそ、自分の写真に何が足りないのかを考えることができたのだと思います。言葉で教えることだけが、「教える」ということではないのでしょうね。カメラマンならば、能書きを並べなくても、1枚の写真を示すことが自分の仕事の証明になります。
 では、教師であることの証明とは、どのようなことなのでしょうか? 少なくとも、「上の人も後輩もすべて蹴落としてでも良い写真を撮りたい」と思ってしまう僕とは真逆の人が教師に向いてるということだけは確かですが(笑)、教育に一生を捧げるという信念を持ち、「自分は教師だ」と胸を張って言える何かを求め続けていく人。そんな人が教師になってくれたらと願っています。


宮嶋茂樹『教員養成セミナー 2012年3月号』「巻頭インタビュー 教師のチカラ」時事通信社

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教師に限らず、大切な観点だと思います。

自分自身も情報を発信するときに、誰に、どのように伝えたらいいのか、考えながら話したり説明したりする。
テレビや新聞も同様。

「情報というのは、多かれ少なかれ伝える側の人間が操作しているもの」
という前提に立って、自ら考える力を身につけていきたい。


それにしても、教師の使命は大きい。

改めて、そう感じる今日この頃。



教員養成セミナー 2012年 03月号 [雑誌]

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