素晴らしい友人がそばにいてくれれば、心が癒される

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しかし名前は知られなくとも、この人たちの影響は、恩恵を与えた人々の人生の中に、永遠に留まることになるのだ。人生の記念すべき日―――。それは、一流の詩のように、私たちの心を躍らせる人と出会った日だ。握手をしただけで、もの言わぬ思いやりの心が伝わってくる人。やさしく豊かな人格で、先を焦る気短な私たちに、天国のような深い安らぎを与えてくれる人。このような人たちに会うと、いままで頭を悩ませていた混乱、いら立ち、心配は、不快な夢を見ていたかのように過ぎ去ってしまう。そして私たちは目を覚まし、神の世界の美とハーモニーを新鮮な気持ちで味わえるようになる。日常生活のつまらない悩みは、一瞬のうちに明るい未来に変わってしまう。要するに、素晴らしい友人がそばにいてくれれば、心が癒されるのだ。それは、いままで一度も会ったことがない人かもしれない。また、人生で二度と会うことがない人かもしれない。それでも、その穏やかで円熟した人格に接することによって、心の中の不満が消え去り、まるで山の清水が海に注がれ新鮮な塩水になるように、私たちは癒されるのである。
「人にあきあきすることはありませんか?」と訊かれることがよくある。この質問の意味を私はよくわからない。だが、愚かで興味本位だけの人、特に新聞記者などは、いつも私の都合の悪い時にやって来ると思う。また、こちらの理解力が低いと見て、見下した態度で話そうとする人も嫌いだ。いっしょに歩いている時に、意識的に歩幅を縮めて相手に合わせてあげようとする人と同じだからだ。どちらにも「偽善」が感じられ、同じくらい腹が立つ。
 人と握手する時、その手は無言のうちにさまざまなことを伝えてくれる。手の感触で、無礼な人だとわかることもある。喜びが全く感じられない人に会ったこともある。冷たい霜のような指先を握り締めたとき、まるで北風と握手しているようだった。そうかと思えば、手の中に日の光が射しこんでいるような人もいる。こういう人と握手をすると、心があたたまる。普通の人が、愛に満ちた眼差しを見て太陽を感じることがあるだろう。私の場合も、それが子どもの手であっても、その柔らかい感触の中に日の光を感じることがあるのだ。心のこもった握手や親しみのこもった手紙は、この上ない喜びを私に与えてくれるのである。


ヘレン・ケラー、小倉慶郎訳『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』「第二十三章」180-182頁、新潮文庫

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視覚と聴覚を失った人が書いたとは思えないような見事な描写で自身の半生を描いてる本書。

19歳でハーバード大学ラドクリフ・カレッジにも合格。

並々ならぬ努力があってこそですが、その原動力というものには考えさせられますが、人間誰しもがもっている“原動力”であるに違いないと思います。

ヘレン・ケラーだけが特別ということでもないでしょう。

しかし、視覚と聴覚が奪われたからこそ、ヘレン・ケラーにしか分からない世界もあると思います。

健常者以上に敏感に、自然というものを感じただろうし、人間の温かみ、人格、思いやりというものにも人一倍感じ取る力があったのだろうと思います。

実際に経験したことがないので、分かりませんが・・・;

ただ、
障害の有無に関係なく、「素晴らしい友人がそばにいてくれれば、心が癒される」には間違いないですし、「こちらの理解力が低いと見て、見下した態度で話そうとする人」も好まれはしない。

自分もそう思う。

だからこそ、「もの言わぬ思いやりの心」を伝えられる人、「やさしく豊かな人格」者でありたいと思う今日この頃。



ps,
相手を理解しようともせず、人の真心を「偽善」と勝手に判断する人は苦手です。


奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝 (新潮文庫)

奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝 (新潮文庫)