子どもがどんなに喜んだ顔をしていても、それに惑わされず、ほんとうによい仕事をしているかどうか、きびしく自己規制ができる人、それが教師です。

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 このごろ、教師という職業はあまり尊敬されなくなりましたが、私は教師というものが尊敬された時代に教師になりました。そのころは、教師になりたいという子どももたくさんいた時代でした。私もまたそうしたあこがれで、教師になったといってよいでしょう。私はある意味で、教師は本来尊敬されてもいいのではないかと思います。つまり、人に世話をやかれず、教室にはいつも自分一人、相手は自分よりも年の小さい弱い人ばっかりというぐあいで、しかも子どもがどんなに喜んだ顔をしていても、それに惑わされず、ほんとうによい仕事をしているかどうか、きびしく自己規制ができる人、それが教師です。いつでもわが身を責め、子どもに確実な力をつけて、責任を全部自分にとってゆくことができる人こそ教師なのですから。こんな人はあまりいません。ですから大いに尊敬されてもよいと思うのです。ふつうは、監督されたり、しかられたりしながらやっていきます。しかし教師はそうではない。どんなにしかっても不平を言わない生徒を相手に、自己の方にかたく責任をとっていく、こんな教師こそ大いに尊敬してもよいと思います。「先生」というのは敬語です。ですから、それに足るだけの人になっていかなくてはならない。教室とは、そういうこわい世界ですし、教師という職業は、その意味で非常にこわい職業、自分に対して非常なきびしさのいる職業だと思います。
 このような覚悟がないと、優しさばかりが身上に思え、子どもが好きだとか、あたたかい心さえあればとかいう甘い考え方になってしまいます。


(大村はま『新編 教えるということ』「尊敬される教師」63-64頁、ちくま学芸文庫

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本日、着任式・始業式があり、入学式が行われました。

新しい1年生が可愛いですね〜。

司会の教頭先生が「礼!」と言うと、頭を下げたまま動かないw

教頭先生が「頭をあげましょう」と言わなければならない状況になりましたw

それが何度かあって、

来賓紹介で来賓の方々が「ご入学おめでとう」と一言挨拶すると、

「ありがとうございます」と1年生のあのスピードできちんと返事をします。

祝電紹介の中の「おめでとう」という言葉にも反応し、「ありがとうございます」とその都度返事をするという。

保育園の先生方の指導の賜物ですね!


入学式が終わって、4年2組の児童と教室へ。

案の定、配布物や連絡等で、あまり時間がなく、なにがなんやら分からずに終わってしまいました;

子ども達は、とても元気で、元気で・・・。

やんちゃな、リーダー的存在もいますが、全員ちゃんと聞く姿勢もできるので、なんとかなりそうです。

最初の3日が勝負ですね。

最初にビシッとしておけば、後は大丈夫です。学級崩壊とかね;

中途半端はいけないので、しっかり事前準備をして、教室に臨みたいです!


来週木曜日から平常授業に入ります。

授業には、毎回の指導略案を作成していこうかと考えていますが、そんな余裕があるのか;

しかし、教師という職業は、きびしい世界なので、甘い考えは排していきたい。

来週から本格的に学級指導が始まるにあたって、ここで一つ自分に厳しくしていきたいと思います。

担任をもったことによる期待や楽しさも感じつつ、それ以上に自分に厳しく、子ども達にしっかり力をつけていけるように日々勉強です。

授業が単なる学習活動に終わらないように・・・。


新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)

新編 教えるということ (ちくま学芸文庫)