国中にバカ者が多い時には、必ずバカな大統領が出てくるに違いない

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 彼にいちばん納得できないのは、バカな人間も賢い人間も、入札の場合の権利は同じ一票だということだった。
「すると、バカな人間の多い時にはバカな大統領が出てくるわけだ」
「いや、そんなことはない!」
 と、チャールスはさえぎった。
「個々にはおろかに見えても、その総意はけして無視できない。人間はすべて神によって作られた平等なものなのだ」
「おれはそうは思わん。人間は神によって、それぞれ能力の差をつけられて生れて来た不平等なものだ。その不平等なものに、それぞれ平等な幸福感を与えてゆく、これが名君といわれるものの政治だろう。だいいち神さまが平等に生んでくれたのなら、そのまま抛っておくのがいちばんよい政治ということになるではないか」
 晋作に喰いさがられて、チャールスは躍起になった。


「それはもう古い考え方だ」
 チャールスは手を振った。
「神はつねに平等なのだ。それなのに、人間はさまざまな階級や貧富の差をつけて、いかにも不平等な社会にゆがめてしまっている」
「ぜんぜん納得できない」
「貴下の言うのが正しければ、富んでいる者や階級の上なものは、常に最高の能率を持つ働き手でなければならない。ところが、その反対の場合が多い。人間は生まれながらにして能力の差をつけられている。この差が、神仏のご意志なのだ。ただ能力の差はあっても、ひとしく仏性を持っているというある 一点だけで平等なのだ。この一点だけを見て、人間が能力においても平等だなどと考えるのは間違いである。したがって、国中にバカ者が多い時には、必ずバカな大統領が出てくるに違いない」
「いや、そのおそれは全くない。人間は自分が愚かであればあるほど、賢いものに憧れる習性を持っている」
「いよいよ否である。愚かな人間に賢愚の差がどうしてわかるか。したがって、バカな民衆の人気取りのうまいものが、あるいは偽善家、詐欺師の親玉などが選び出されて来るであろう」
「かりにそうであってもよい」
 と、チャールスはとうとう身をかわした。
「もしそうした者が出てきても、 四年経てば彼はまた一人の民衆に還元するのだ。したがって次には彼よりも賢く、彼よりも民衆の仕合せを増す人物が選ばれる。これは長い忍耐を要するが、しかし理想的な政体であることに誤りはない」
 晋作は、笑いながら、もう一度反撃していった。
「貴下の所説はよくわかった。四年間で大統領を交替させるというこの制度は、人間はあまり信用できないもの、長く政権を預けてあれば、悪事を働くもの……という人間観が根底になっているようだ。したがって、貴下並びに貴下の国の人間平等論は、神さまが決められたのではなくて、人間なんぞあまり信用するな、みなひとしく信用できないぞという、人を信じて懲りた人間どもの達した結論にすぎないと私は受け取って、私の議論を打ち切ろう」
 中牟田は、呆れて、
「そうだ、議論はもうその辺で止したがよい」
 ときどき通辞を命じられるので、額に汗を噴かせて晋作に言った。
 晋作は、うなづきながらチャールスを合せて互いの健康を祝福しあった。
「私は、あなたを尊敬する。そして、私がどのくらいあなたを尊敬しているかということが、次にお目にかかった時には、日本語で立派に証明できるようになっていたい」
 と、チャールスは言った。どうやら彼はほんとうに晋作に好感を持ったらしい。
「しかし、私は、私の国の制度が最も進歩したものであるという誇りは、この次にお目にかかった時もけして捨ててはいないであろう」
「私もその通りである。神仏が人間に能力差をつけてあることを、貴下のために悲しむものである」
 二人はまた顔を見合って笑いあった。
 そして、いよいよ別れを告げて出ようとする時になって、また一つ晋作は、大きな事実に眼をひらかれた……


山岡荘八高杉晋作(2)』「奇傑の眼」259-263頁、講談社、1986年)

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高杉晋作(2)(山岡荘八歴史文庫78)

高杉晋作(2)(山岡荘八歴史文庫78)