私の話したことの一体何パーセントが、この若い学生たちの意識を喚起しているのか
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福岡ハカセが行っているのは『毒と薬』という名の講義。ヒトにとっての薬は、微生物にとっての毒であり、それは生命現象と言う一枚のコインの表と裏を見ているにすぎない。そんな薬であり毒であるものが、私たちの身の回りにはたくさん存在し、それを私たちはありがたく服用し、あるいは時に、さりげなく食品や飲料に紛れ込んでいたりする。しかもその所在は、裏面に張られた表示ラベルの片隅にしか表示されていない。ただし、私が言いたいのは「買ってはいけない」ということではない。真実はいつも、とても小さな声でしか語られないということなのであり、それゆえそっと耳をすませなければならないということなのである。そしてその声を聞き取るために必要なのは懐疑的な心のあり方なのだ……。
最近の学生は概して真面目に講義に出席し、熱心にノートを取る。けれども私の話したことの一体何パーセントが、この若い学生たちの意識を喚起しているのか、そのことを知る手がかりはどこにもない。最近の学生は講義中、概して無反応だから。
中学だったか高校だったか、顔や名前すら忘れてしまったが、あるとき数学の先生が教えてくれた。関数、関数って教科書に書いてあるけど、これはほんとうは函数と書くんですよ。つまり函があってこっちから数を入れるともう一方からポンと別の数が出てくる。そういう仕組みが函数なんです。そうなんだ。それ以降、三角関数でも指数関数でも、関数が出てくるたびに私にはそれがちゃんと函に見えた。
そういえば昔、先生がこんなこと言ってたな。そんな風に、何かほんの一言、気づきのヒントが与えられればよい。ある種の言葉はずっと心に留まる。いや、これもまたほんらい、教え授ける側がいうのは、押しつけがましいことなのかもしれない。
(福岡伸一 『ルリボシカミキリの青』「第三章 ハカセをいかに育てるか」81-82頁、文春文庫、2012年)
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早くも9月2週目が終わりました。
あっという間ですね。
子どもたちは相変わらず元気です。
気になっている子も、未だに諸問題はありますが、以前と比べたらイイ表情で学校生活を楽しいんでいるように見えます。
クラスの雰囲気も担任の本気度で変わってしまうので、油断はできません。子どもたちとの会話の一言一言がそのまま子どもに伝わりますし、それほど子どもたちは純粋だということです。
こちらが適当な態度をとってしまえば、子どもはこちらを向いてくれません。
かといって、一人ひとりに向きあっていれば、キリがない。そして、手が回らない。
そこで、子ども同士のつながりが大事になってくるのではないかと。
「一人ひとりを大切にするクラス」ではなく、「一人ひとりが大切にされるクラス」に。
先生対子どもの関係ももちろん大事ですが、子ども同士の関係も重要。
子ども同士の関係から学ぶことも多々あることでしょう。先生からの指導だけではなく、それ以上に、友だちとのかかわりの中から学ぶことの方が多いのではないかと。
一斉授業の講義スタイルでの授業だと、教える側と教えられる側で立場が分かれ、子どもたちが受け身になってしまいがち。すると、授業中に変な沈黙が・・・;
無反応の子どもたち。聞いているフリ。分かったフリをしている子どもたちになってしまう。
授業はなるべく子ども主体で進めたいと思います。
昨日のTwitterでもつぶやきましたが、子どもの「わからない」から子どもたちの学び合いを深めていきたいです。
が、なかなか難しい。授業の進度も問題になってきます。
それ以前に、学び合う学びを“支えているもの”をまずは構築していかなければならないのですが、これまた地道で粘り強い取り組みが必要なんですね。
教師としては当たり前のことなんですが、その当たり前のことを続けることがプロなんだと思います。
継続は力なり。
ps,
授業中の沈黙や間はとても大切なものですが、その良し悪しの質というものがあるように思います。
単に何をしていいのか分からずに黙ってしまう。これは、“学び”が生まれていない状態で、とても無駄な時間。
発問には細心の注意を払いたいものです。
- 作者: 福岡伸一
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