「ねえ、ここどうするの?」という問いを発することから、学び合いが出発する

f:id:mind1118:20130610212404j:plain

 

-----

 

 個人作業の協同化においては、わからない子どもが「ねえ、ここどうするの?」という問いを発することから、学び合いが出発する。この質問に応える子どもは、つまずいている子どものつまずきを理解し、つまずいている子どもがわかるように説明しなければならないし、その援助の言葉を受けて、わからない子どもは懸命に思考しなければならない。この他者の援助を媒介とする思考によって、わからない子どもは一人で学ぶことの限界を超えることができる。実際、低学力問題の解決において、小グループの協同的学び以上に効果的な方法はない。いつも教室を観察していて感動するのだが、子どもは教師以上に、わからない子どもの学びの支援において有能である。

 わからない子どもの「ねえ、ここどうするの?」という問いから出発する対話において、つぶさに観察すると、その恩恵が、わからない子ども以上に、応答している子どもにももたらされていることに気づく。わかっている子どもは、わからない子どもへの応答によって、「わかり直し」を経験しているのである。〈わかる〉にも、いくつかのレベルがある。わかってできるレベル、わかっていることを説明できるレベル、わかっていることを教えることができるレベル、さらにその上に、わかっていることでわかっていない子の問いに対応し、援助できるレベルがある。わからない子どもの問いに対応することによって、わかっている子どもの側がいっそう恩恵を受けることは多い。

 

佐藤学 『学校を改革する 学びの共同体の構想と実践』「4 協同的学びによる授業改革」27-28頁、)

 

-----

 

「教育法方学」のレポート2通目が完成しました。

学習指導過程の習得型と探求型について考察しましたが、教師が直接的に指導するのではなく、間接的に指導する方式を一般に探求型というそうでうすが、これは、学びの共同体の理念を基にした学び合う授業と一致するのではないかと思いました。

近年注目されている「学びの共同体」の理念を提唱している佐藤学先生は、

「聴き合う関係が対話的コミュニケーションを実現し、それによって子どもと教師の学びが実現し、学びの共同体が創造される。「他者の声を聴くこと」は学びの出発点であり、対話的コミュニケーションで構成される民主主義の基礎である」(『学校を

改革する』24頁)

と述べております。

子どもの「わからない」という声から学び合いがスタートし、4人以下の少人数のグループやペア学習を取り入れ、全ての子どもを学びへと向かわせることができる。さらに、理解している子も、仲間との学び合いの中で「わかり直し」を経験することができると。

 

普段の授業の中では、「わからないことは恥ずかしいことではない」と言っております。まずは、教室の雰囲気、すべての子が安心して学べる環境を作らないといけないと思います。幸い、本校の子どもたちはとても落ち着いていて、学び合う環境が整っているので、あとは、こちらの力量ですか・・・。

 

 

ps,

先週の土日は、大学のスクーリングに行ってきました。会場は名古屋。科目は「経済学概論」。

経済学の基礎基本を学んできました。学んだことは実践につなげないと意味がないので、日常生活の場面で、少しでも経済原理に立った視点で物事を見ていきたいと思いました。

経済学は、あらゆる分野とつながっていることも学びました。経済問題や金融問題だけでなく、資源・環境問題、倫理問題など、またその原理は、私たちの行動様式にもつながっており、最適化をめざし、多くの選択肢から取捨選択を繰り返し、合理的に判断、行動しています。

何が価値的な行動なのかは、あくまでその人の主観ですからね。他者から見て、「合理的じゃないなぁ・・・」と思っても、その人にとっては、合理的なのです。

勉強ばかりして一体何になるんだ。あるいは、仕事ばかりして・・・。遊んでばかりいて・・・。と思いますが、その人にとって、今、勉強(仕事、遊び・・・)をしなければいけない理由があって、その人にとっては価値があるのです。もちろん反価値的なものもありますけどね。

 

価値論についても授業の中で話が出てきました。その辺もまた考えてみたいと思いました。

経済学概論のレポート(2通)も書かなければいけないことが、スクーリングに行ってから判明しましたw

 

 

学校を改革する――学びの共同体の構想と実践 (岩波ブックレット)

学校を改革する――学びの共同体の構想と実践 (岩波ブックレット)