子どもたちの触手が「外へ」と拡がる契機となるもの

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 子どもの言語状況は「言葉があまって思いが足りない」というかたちで構造化されるべきでしょう。それゆえ、美しく、響きがよく、ロジカルな「他者の言葉」に集中豪雨的にさらされるという経験が国語教育の中心であるべきである。私はそういうふうに考えています。

 まず自分の「思い」が先にあって、その「思い」を「そのまま言葉にする」のが国語教育だという仮説を採用すると、子どもがある幼児的な身体感覚にふさわしい幼児的な語(例えば「むかつく」とか「うざい」とか)で満たされたとき、それ以上自分の言葉を豊かにしなければらなないという動機づけは失われてしまいます。現に、「思いをそのまま言葉にする」という課題は達成させられてしまったわけですから。ですから、仮にそのあとの言語的進化があったとしても、それは「むかつく」という語をTPOによって三六通りに使い分けるというような方向に向かうしかない。(現に、日本の子どもたちの言語状況はそういう方向に向かっているように思われます。)

(中略)

 子どもたちはまず「言語的ひろがり」のうちに投じられるべきだと思います。自分の手持ちの身体感覚では推し量ることができないけれど、言葉だけは知っている。そういう言語状況こそが教育的であろうと私は思います。「臍を噛む」とか「怒髪天を衝く」とか「心頭滅却すれば火もまた涼し」というような言葉はどうしたってまず言葉だけがあり、身体実感の裏づけなんかふつうの子どもにありはしません。でも、その言葉を知ったことによって、身体感受性は子どもを閉じ込めている日常的制約を超えて、「外へ」拡がろうとする。私はそういうふうに子どもたちの触手が「外へ」と拡がる契機となるものを、総じて「教育的」と呼ぶことにしています。

 

内田樹 『街場の教育論』「第10講 国語教育はどうあるべきか」244-245頁、ミシマ社、2008年)

 

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昨日の校内研修会では、外部講師を招き、特別支援教育の研修を受けました。

日中、講師に授業を参観し、子どもの様子を見て頂きました。

細かいところまで観察していて、ふだん気づかないところも教えてもらい、ご指導して下さいました。子どもの様子に加え、ボク自身の授業での指導の仕方にもアドバイスを頂き、恥ずかしいやら、情けないやら・・・;

 

また、総論として、子どもたちに何を求めるのかという話も聞きました。

できるだけ、全ての子どもたちに、学力をつけさせてあげたいという思いは大切ですが、それ以前に、「満足感」を与えることが重要であると。特に小学校の段階では。中学校の先生方から「小学校でもっとできるようにしてあげてほしい」とか「九九は覚えさせてきてほしい」という声がちらほらあるようです。確かにそれは仰る通りなんですが、小学校の先生に心がけてほしいことは、「満足感」を与え、「自信」を持たせること。「楽しい」と感じ、次へのステップに繋げること。

子どもは「分からない」し「できない」のが当たり前。難しいことを一生懸命、理解しようとがんばっている。あれもこれもと、子どもに求めるのは、子どもを苦しい思いにさせ、「もう勉強なんて嫌だ」「キライだ」となってしまい、そのまま、中学校へ進学すれば・・・。

ではなくて、できたこを大いに褒め、認め、自信に繋げる。「よし、次もやってみよう」という前向きな姿勢にさせることが最優先であると。

当たり前のように聞こえますが、自身の日々の授業を振り返る良い研修会となりました。

 

細かいところでは、授業中の子どもたちの姿勢や、鉛筆の持ち方、上靴の履き方などから、その子どもへの支援のあり方をご指導して下さいました。

発達障害のある子は、目の動きに特徴があるようです。近年では、ビジョントレーニングというものが日本の教育界でも注目されつつあるようです。動体視力を鍛え、リハビリ効果もあるようです。

 

さて、今日の国語の授業では、早速昨日の研修会で学んだことを意識して取り組みました。

説明したこと以外のことを後からあれこれ注意、指導しないこと。できたことを大いに褒めること。また、机の向きもコの字から前向きに変えました。あまりこだわらなくてもいいのかなと。大切なのは子どもたちの実態に合わせた形なので。授業に集中し、学びが深まるのなら。でも、学習内容や活動内容によって、その都度コの字型にしたりすることもあると思います。

今日の授業では、子どもたちは本当に頑張っていました。頑張りが目に見えて、それが作文にも表れていました。書くことが苦手な中で、一生懸命書いたと思います。イイ顔をしていました。

句読点や段落、誤字脱字などは、その次です。というか、一生懸命書こうという中で、「先生、ここ行変える?」とか聞いてきますからね。まずは、「書こう」「書きたい」という気持ちが大切なんですね。技術的なことは、後でもいい。

 

「授業は楽しく」が基本で、一人ひとりが「自信」を持って、「明日も学校へ行こう」という気持ちを大切にしていきたいですね。

 

 

街場の教育論

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