この時期を利用し、新しい決心をすることもまた最も必要のことである
-----
今月(九月)は学生の学期も改まり、商人その他も避暑から帰り、すべて新しい時期を画するの基節なれば、この時期を利用し、新しい決心をすることもまた最も必要のことである。
昔の我が国には、正月の三ケ日、雛の節句、端午、その他いろいろな記念日があって、この時は、人は衣服を改め、家には心をこめた馳走を作り、愉快にその日を送ったものである。しかしてこの時は人心も何となしに改まり、新生命を鼓吹されるようである。あるいはこんなことは形式的である、つまらぬことであると、一笑に付し去る者もあるが、しかし時々には平生の経路から異なった生活をすることは、人生に変化を与え、生命を与え、趣味を与うるものである。僕は迷信に溺れぬ限りは、一笑に付し去るべきものでないと思う。
(新渡戸稲造 『修養』「第十六章 暑中休暇後の修養」484頁、タチバナ教養文庫)
-----
長い夏休みも終わろうとしています。
今年の夏休みは例年以上に色んなことができて、愉快に過ごすことができました。
明日は職員会議。来週から新学期のスタートです。
元気な子どもたちと楽しい学校生活を送れるよう、自身もより一層教育者としての自覚を持って、スタートしたいと思います。
先日、『最強のふたり』のDVDを観ました。前から気になっていましたが、観る機会があまりなく、この休みを利用して観てみました。
最高の映画ですね。面白いです。
首から下が麻痺して介護を必要としている大富豪フィリップと、スラム街で育った貧しい青年ドリス。出会うはずのない二人が、互いに接するうちに、それぞれの人生に影響を与え、それぞれに変化をもたらしていく。
フランス語の原題『Les intouchables』は、「触れ合わないもの同士」という意味があるそうです。また、インドにおけるカースト制度の最下層民を示す意味もあるようです。
住む世界が違う人たちと触れ合う機会は少ないですし、大富豪、貧民、互いに触れ合うことを避けているようにも思える社会。
この映画の中で二人は、自分にはなかったもの、自分が知らなかった世界、自分の秘められた可能性を発現していく。それは、「触れ合わないもの同士」が「触れ合うこと」で、徐々に変化を与え、自身の世界が広がっていった。
大富豪、貧民という定義も分からない。どれだけたくさんのお金を持っていても、体が不自由であれば、はたして幸せか。自由な身であっても、自分の可能性を開花できない環境に置かれていれば、それも幸せか・・・。はたして何が幸せか。幸せの価値観は人それぞれですが、でも、知ることで広がる世界がある。自分の世界に閉じ籠って、本当の幸せが見つかるのか。
考えることは尽きませんが・・・。
この映画は、実話を基にして制作されたそうで、映画の最後には、実際の人物が映っています。
ユーモアもある映画で、二人のやりとりが面白いです。笑える場面もあり、感動する場面もあり、そんじょそこらの映画とは違うという感じです。
まだ自分の中に眠っている可能性を発揮するのは、人との出会いがキッカケということは多々あることです。
新しい学期がスタートしますが、色んな人との出会い、触れ合いを大切にし、自身の世界を広げて参りたい。

- 作者: 新渡戸稲造
- 出版社/メーカー: たちばな出版
- 発売日: 2002/07
- メディア: 新書
- 購入: 2人 クリック: 11回
- この商品を含むブログ (10件) を見る