どんな変革も、個人の心の中に初めてともった火から広がっていくものだということを知らねばならない

f:id:mind1118:20131020124131j:plain

 

-----

 

 われわれは団結心というときに、ときどき偽善的な意味で使うことがある。というのは、団結心と指導性とはある場合には相反するからである。そして指導者は、自分の指導に従うことを団結心の証拠として要求し、要求されるものは、ただやみくもに従うことを団結心と考えがちだからである。一人一人が全く自発的な意思で、全能力をかけて、お互いにまた同じような高さの能力を持ちながら団結するということは、実は口で言ってもやさしいことではない。同志愛にも濃淡があって、中核体の同志愛が緊密であっても、周辺の同志愛は緊密でない場合が多い。同志愛はそのようにして、ごく中核体の最も緊密な同志の間に、危難にさらされながら養われ、育てられていくものであろう。

 その点でわれわれは集団行動と一口に言うけれども、そこに微妙なニュアンスの差があって、最後の最後には、中心の個人の決意にすべてがかかっているということをみるのである。一種の非合理的な熱狂と陶酔の渦で大ぜいの人間を巻き込みながら、一つの目的へ向かって突き進めるには、その中核体が溶鉱炉の炎のように燃え盛っていなければならないのである。革命的指導者とはそのようなものであり、右からの革命でも、北一輝はそのようなカリスマ的性格の持ち主であった。いわばカリスマ的性格とは、核融合を起こさせる一番最初の核のようなものであって、彼が原動力であり、彼が炎の中心であるからこそ、火は燎原の炎のように周囲へ広まっていくのである。そこでわれわれは集団行動ということばにまぎらわされずに、一人の人間の意思が歴史を突き動かし、結局、大きな歴史も一つの人間意志から生まれたというところに注目しなければならない。カストロも、また、ゲバラ毛沢東も一個人であった。どんな変革も、個人の心の中に初めてともった火から広がっていくものだということを知らねばならない。

 

 

三島由紀夫 『行動学入門』「行動と集団」55頁、文春文庫、1974年)

 

-----

 

 

 

行動学入門 (文春文庫)

行動学入門 (文春文庫)