一度の経験は自信を与う

f:id:mind1118:20131229120502j:plain

 

-----

 

 また顧みて、一年中に辛いと思ったことがあっても、これは勇気を養う資料に供することができる。過去に辛いと思ったことを記憶しれおれば、たとえ艱難に逢うても「なにこれしきのこと、自分は前にもっと辛い目に逢うても、それを切り抜けて来たではないか」と思えば、くじけんとした勇気も奮起される。眼前に十貫目の荷物があったら、自分は前に十二貫の重荷を負うたことがあると思えば、これを負うに少しも苦を感ぜぬであろう。一度の経験は自信を与う。ゆえにまた例えば眼前に二十貫の重いものがあり、自分はいまだこれを荷うたことがないとしても、自分はすでに一度十貫目のものを荷うたことがあるとすれば、これはその倍に過ぎぬ、少し力を入れれば荷えるという勇気が加わって来る。

 要するに心のもち方一つで、憂いを転じて楽しみとし、禍いを変じて福とするは、必ずしも英雄聖人を持たなくともできる。天は決して我々に無意味の禍いを与えぬ。決して我が力に耐えぬものを与えぬ。ちょうど手頃のものを与うると信ずれば心安い。

 

新渡戸稲造『修養』「第十七章 迎年の準備」501-502頁、タチバナ教養文庫

 

-----

 

新年を迎え、「今年はこれに挑戦しよう」とか「今年は◎◎な年にしよう」とか、決意する人は多くいると思いますが、大晦日の日に、新年に決意したことを振り返り、果たして決意したことが達成できたのか、できなかったのかを顧みる人はどれだけいるのでしょうか。

アメリカの大学は、入学式がないそうです。そのかわり、卒業式を盛大にする。入るのは簡単だが、そこで、継続した勉学に励み、充分に社会で通用する力を身につけることが難しい。だから、入学式より、卒業式を重視するそうです。

決意は誰にでもできる。が、続けることが困難であることは、多くの人が納得できることだと思います。

 

今年はどうだったのか。

1月~3月は、苦労多き時でした。初めて担任を持った経験は、今後の教員生活の土台となることは間違いないでしょう。

4月から、母校へ赴任することができ、感謝の思いでいっぱいです。来年3月で終わりますが、この1年で学んだことも大きな財産となりました。担任は持ちませんでしたが、その分、余裕を持って子どもと関われましたし、子どもとの関係づくりでは大切な経験をさせていただきました。

「学び続ける」ことは、どんな時でも同じです。人生を引退するまで、これは続きます。

 

明日、2014年を迎えるわけですが、具体的に、1年間の目標・決意を固め、それを原点とし、来年も走り切っていきたい。

そして、来年末、大きく成長した姿で、1015年を迎えたい。

原点無き人生は路頭に迷う。

 

f:id:mind1118:20131229113142j:plain

 

 

修養 (タチバナ教養文庫)

修養 (タチバナ教養文庫)