人の役に立ちたいと願う時にこそ、人間の能力が伸びる。

 

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 いま支配的な教育観は「自分ひとりのため」に努力する人間のほうが「人のため」に働く人よりも、競争的環境では勝ち抜くチャンスが高いという判断の上に成り立っています。私利私欲を追求するとき人間はその資質を最大化する。隣人に配慮したり「公共の福祉」のために行動しようとすると、パフォーマンスは有意に低下する(「嫌々やらされているから」)。それが現代日本において支配的な人間観です。

 だから、子どもたちの能力を上げようとしたら、とにかく苛烈な競争の中に叩き込めばいいと教育行政の人たちは考えている。評論家たちも、メディアも言い募っている。学習成果を数値的に公開する。順位格付けに一喜一憂させる。買った人間には報酬を、負けた人間には罰を与える。勝者が「総取り」し、敗者には何も残さない。そういう「弱肉強食」型のストレスをかければ、子どもたちは生き残りをかけてめちゃめちゃに勉強するようになるだろう、と。教育を論じる人たちはそういうふうに考えてきた。

 でも、やってみたら、そうはならなかった。なるはずがないんです。繰り返し言うように、人間がその才能を爆発的に開花させるのは、「他人のため」に働くときだからです。人の役に立ちたいと願う時にこそ、人間の能力が伸びる。それが 「自分のしたいこと」であるかどうか、自分の「適正」に合うかどうか、そんなことはどうだっていいんです。とにかく「これ、やってください」と懇願されて、他にやってくれそうな人がいないという状況で、「しかたないなあ、私がやるしかないのか」という立場に立ち至ったときに、人間の能力が向上する。ピンポイントで、他ならぬ私が、余人を以って代え難いものとして、召喚されたという事実が人間を覚醒に導くのです。

 

 

内田樹『街場のメディア論』「第一講  キャリアは他人のためのもの」29-30頁、光文社新書

 

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運動会が無事に終わりました。

子どもたちは、「自分のやくめ」は何かを考えながら、練習をがんばっていました。本番もよくがんばりました。

遠足や、運動会、その他さまざま行事がある中で、「何のために」するのか。「自分のやくめ」は何か。をはっきりさせることは大切だと思います。ただ楽しむだけではいけない。お遊びではありません。

そして、「やくめ」を果たせたという成功体験。「自分は役に立っているんだ」という実感を得ることで、自信になり、次のチャレンジへと向かうことができると思います。

 

運動会が終わって、今日は振替休日。

平日に休みというのは、なんだか気分がいいですねw

久しぶりに、ゆっくりと過ごしました。(学級通信を作りに職場へ行きましたが、いつもより短時間の滞在です。)

最近は、伊坂幸太郎にハマっていますが、先日、BOOKOFFで購入した内田樹さんの『街場のメディア論』を読みました。

すると、序盤にキャリア教育のことが論じられていました。「まさに!」という感じです。最近の教育界が進んでる方向が危ぶまれる中で、前職場の校長も同じことを言っていました。

 

子どもは、人とのかかわりの中で、育っていくものです。人とのかかわりの中で、人とのかかわり方を学んでいきます。

 

久々に目から鱗です。

さすが、内田先生。

 

 

 

街場のメディア論 (光文社新書)

街場のメディア論 (光文社新書)

 

 

 

 

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