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人間の理想像をおのがじし胸に画いて、その実践に努めねばならない

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 最近とみに、人類滅亡の危機が叫ばれ、それを載りこそうとして、平和への道の模索が真剣に語られているが、このような危機は、いまにはじまったことではない。一万五千年の昔、すばらしい前頭連合野をいただいた現代人が出現したその瞬間から、はじまっていたはずである。
 私たちは、原子爆弾にこよない不安と恐怖をいだいているが、実は、それを作りだした前頭連合野そのものが、数百メガトンの水素爆弾以上の偉大な破壊力をもっているのである。
 保育、教育の究極の目的は、人間形成である。すなわち、正しい判断力や創造性、豊かな情操や強い意志力を育成しながら、同時にまた、子どもに、殺しの心を植えつけ、その芽を伸ばしているのである。このように、前頭連合野で営まれる精神を育成しっぱなしにして、非合理的存在者としての人間を作るのは、保育技術者、教育技術者のできることであって、おそらく、近い将来にはティーチング・マシンが完全にとって代るであろう。しかし、ティーチング・マシンに任せっぱなしではいけない。もしそうであったら、またたく間に、この地球上から人類は消滅するであろうし、とっくの昔に絶滅していたはずである。
 ところが、私たち人間は、多少の犠牲はあったが、ここまで持ちこたえたどころか、こんなにまで繁栄している。私たちの先人は、賢い人類の知恵を働かせて、私たち人間を非合理的存在者たらしめている前頭連合野を爆発させないように努力したからである。
 これからさきも、人間性を高揚するほど、爆発力の強まる前頭連合野に、なんとか手を加えて爆発させないようにしなければならない。ここに、個人の責任において、あるいは集団の責任において、どのように手を加えたらよいかという「人間であるべき姿」を真剣に考え、その姿を人間行為に具現することが強く要請されるのである。子どもの親として、自分はこのように育ててゆきたい育児観、学童の教師として、自分はこのように教育してゆきたいという教育観、社会人として、自分はこのように世に処してゆきたいという人生観、日本人として、自分はこのように振舞いたいという世界観など、人間の理想像をおのがじし胸に画いて、その実践に努めねばならない。ここに、単なる保育や教育の技術者ではなく、聖職とさえよばれる保母や教師としての重い使命がつきまとい、その実践を通じて、大きな誇りが体得できるのである。このことは、地球上に生をうけているすべての人への提言でもあるのだ。


(時実利彦『人間であること』「32 非合理的存在であること」199-201頁、岩波新書

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今日は、講師の面接に行ってきました。

市外ですが、講師として経験を積めるのなら。

ということで、4月から講師として小学校に勤務する予定です。

履歴書や誓書、健康診断書などの説明を受けて、短時間で終わりました。

健康診断を受けて来いってことは、ホントに4月から講師として現場に立つということでしょう。

まだ、学校は決まっていませんが、常勤講師とのことです。

常勤ってことは、担任をもつ可能性もありってことで、大変ですが、

“大変”って、“大きく変わる”“大きく変われる”という意味にもとれます。

大きく成長していけるということで、不安もありつつ、楽しみもあります。

不安と期待のパーセンテージが、日々移り変わっていきますが、しっかりと自身の教育観、人生観、世界観を確立して4月を迎えたいです。

もちろん、人間は、死ぬ瞬間まで勉強なので、これまでの経験を活かしつつ、教育現場では大いに学んでいきたいと思います!


さっそく、明日は健康診断に行こうかと。

そして、書類を提出したいと思います。

何事も早く済ませた方がいいと思います。

余裕をもって。


ps,
面接の帰りにそのまま学童へ行ったので、今日はスーツ姿で学童に行きました。
案の定、子どもたちからは、「なんで、そんな恰好なの?」と聞かれました。
先生の用事(面接)があったこと。4月から違う小学校に行くことも話しました。

1年間という短い期間でしたが、やはりお別れは寂しいものですね。
残り1ヶ月を楽しく朗らかに過ごしたいと思います。



人間であること (岩波新書)

人間であること (岩波新書)