2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

能力というモノは存在しない

- 福井東養護学校の子どもたちについて、もしも、「能力」というフィルターにかけてみると、「できないこと」ばかりの項目がえんえんとつづくだろう。 ところがこれを、「実践」というレベルで見ると、じつに豊かな実践にあふれていることがわかる。 まりさ…

スクーリング期間中は、脇見をせずに専念せよ

- 安政の大獄というのは、幕府が朝廷に無断で結んだ外国との開国条約問題と、次の将軍を誰にするのか、という徳川家の相続問題とが複雑に絡み合っている。に本の大名や有志が真二つに分かれた政争の結果、起こったものである。井伊は反対派を徹底的に弾圧し…

ジョウズヤロ〜〜!?

もちろんテクニックもジョウズなんですが、それよりも、話す関西弁がオモシロイ!^^デキターーー!!wwテクニックもさることながら、 とてもユーモアがあって、笑顔になります!この人、好きです。 努力家の人、好きです。 「一流の人ほど、見えないとこ…

世の中へ出てゆけば、たちまち、俗衆と同視せられ、毀誉褒貶の口の端にかかって、身も名も汚される

- 「石を玉と見せようとしてもだめなように、玉を石と仰せられても、信じる者はありません。いま、先生は経世の奇才、救民の天質を備えながら、深く身をかくし、若年におわしながら、早くも山林に陰操をお求めになるとは―――失礼ながら、忠孝の道に背きましょ…

“ベスト”を尽くすのではなく“全力”を尽くせ

- セルフイメージを大きくするための最も大切な心の習慣に“全力を尽くす”というものがあります。私は“ベストを尽くす”という言葉はよい表現ではないと考えています。なぜなら“ベスト”という言葉はあくまで結果であるからです。従って「ベストを尽くす」と言…

真の太医は国の患いも医す

- 「まだ、それがしをお疑いか。医は人間の病をなおすことのみが能ではない。真の太医は国の患いも医すと聞いている。わたしくに、それほどの力はないが、志はあるつもりなのに、意志の薄弱な長袖者と思われておつつみあそばされるか―――」 そう嘆じると、吉…

ネットの情報は信頼できないというが、それは当たり前

- 現代の日本の時代相を表現するのに、「ダイナミック」という言葉ほどふさわしいものはない。 「ダイナミック」とは「動的」という意味に解していただいて結構だが、私はそれに「非常に」という副詞をつける必要を、感じないではいられない。 激烈なダイナ…

積極性・主体性

- 滝井 「良い教師」になれるかどうかは、最初の3年が非常に重要です。この時期をどう過ごすかによって、その後どのような教師になるかがある程度方向付けられてしまうとさえ言えるほどです。ですから、この時期は特に、先輩教師からたくさんアドバイスをも…

どんなに悪魔的世相があらわれても、決して悲観しません

- 「この地上は、それ故に、どんなに乱れ腐えても、見限ってはいけません。わたくしはいつもそれを信じている。ですから、どんなに悪魔的世相があらわれても、決して悲観しません。人間はもう駄目だとは思いません。むしろ、見えないところに、同じ思いを抱…

だって真実とは太陽 隠すことはできないから

そう、今まではスイッチ一つで飛べると信じてた半端モン でも今更だけど俺もやっとここで見つけたんだよ 下を向くな どんな時も 俺達の望むその日は来るさ だって真実とは太陽 隠すことはできないから (SYZA x TexYG 『Future On The Stand』) - 先日、パ…

なぜ「美徳」がまず私に要求され、まず「他者」には要求されないのか、それを相互性のモラルは説明することができない

- もう一つの「自由の歯止め」として、ボーヴォワールは「美徳」を挙げているのである。彼女はこの美徳を「相互性」の上に築こうとした。主人と奴隷の相剋を乗り越える可能性についてボーヴォワールはこう書く。 このドラマは一人一人が、他者を自発的に認知…

何があっても人間を放棄せず、人間として最後まで生き抜ける人

- 行き詰ることそのものは、決して不幸ではない。 闘えば、行き詰まりは新しい価値の源泉となる。 幸福な人とは、行き詰らないで生きている人ではなく、行き詰まりと戦い続けている人である。 幸福な人とは、深く悲しみ、深く喜び、深く怒ることのできる人で…

自分たちがやってきた過程は自分たちが一番よく知っている

- 試合のコートに立てば、ただ勝ちのみを目指すだけ。学区の制約や能力の差なんてまったく関係のないことだ。だが、常に自分の限界ギリギリで闘っている選手たちを見ると、「このチームでよく決勝までいった」「このチームでベスト4は上出来だ」などという…

なんだ、これがぼくたちさんざんさがし回ってた青い鳥なんだ

- かあさんチル お前の鳥ですよ。あの鳥いらないんでしょう。もう見むきもしないじゃないの。ところがあのお子さんはずっと前からあれをしきりに欲しがっていらっしゃるんだよ。 チルチル ああ、そうだ。ぼくの鳥どこにある? あ、あそこにかごがある。ミチ…

堅塁中部

- 勝てば皆、軍(いくさ)は自分ひとりでしたように思い、負ければ、皆負けた原因を、他人に向けて考える。 (吉川英治『三国志(一)』講談社) - 『三国志』1巻を読了しました。 今のところ、登場人物の混乱はありませんw 面白いですね。さずがです!登…

「自分の城」を築こうとする者は必ず破滅する

- 自我というのは自尊心でもあり、エゴでもありますから、自分を主張したい、守りたい、あるいは否定されたくないという気持ちが強く起こります。しかし、他者のほうにも同じように自我があって、やはり、主張したい、守りたい、あるいは否定されたくないの…

紛れもなく一分の一

- つまり、一人ひとりに声をかけること、かかわることです。「今日も先生は私の机に来てくれた」「今日も先生はボクに話しかけてくれた」「今日も先生はボクの肩を抱いてくれた」―――その積み重ねです。教師から一人の子どもをみたら四十分の一かもしれません…

空気を「読む」ことと同じくらい、空気を「つくる」ことも大切

- ただ、空気を感じたからといって、お客さんに迎合するわけではございません。場の空気を感じながらも自分がやりたいことを貫くこともありますし、意図的に違う空気をつくり上げていく場合もあります。落語は、その場の笑いで盛り上がることも大事ですが、…

音楽のチカラ

- あなたは、コンサートホールにすわって、大好きなシンフォニーに耳を傾けているとします。そして、いままさに、このシンフォニーの大好きな小節が耳に響きわたっているところです。あなたは、背筋がぞくっとするほどの感動に包まれているとします。そこで…

師の他者性は「私」を起点にしてしか「かたち」をとることができない

- 師が他者である、というのは単に師が私とは別人である、というような意味ではない。そうではなくて、師は弟子である私にはとても理解が届かない知的境位にいるのだけれど、その「理解の届かなさ」は、弟子である私に固有のものであって、私以外の誰も(師…