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いいふらされた愚にもつかないことを信じきっている

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 「キリスト教徒の旧約聖書は、ユダヤ人の聖なる書物である。ユダヤ人は、それをトーラーと呼ぶ。≪教え≫という意味だ。トーラーには、神がモーセに示された掟がかかれている。ユダヤ人はこのトーラーについて、またその掟について、一生けんめい考えた。そして、トーラーの掟をどう理解すべきか、それをかれらは別の、非常に大きな書物、タルムードにかき記した。タルムードとは≪学ぶ≫という意味だ。
 厳しい信仰を持つユダヤ人は、今日でも、トーラーに記された規則を守っている。それは生易しいことではない。たとえば、安息日には火をたきつけてはいけないとか、豚などの不浄な動物を食べてはいけないというわけだ。
 トーラーには、ユダヤ人の運命が予言されている。つまり、もしかれらが神の掟を犯したならば、迫害を受け、逃げねばならない、というものだ。しかしかれらは、救世主(メシア)がかれらを約束の地カナンへつれもどし、そこにかれらを民とする救世主(メシア)の国を創ってくれる、という希望をも同時に持っている。
 かれらは、イエスがほんとうの救世主(メシア)であることを信じず、それまでにすでに何人か現われたようないかさま師の一人だと思った。だから、イエスを十字架にかけた。そのことについて、ユダヤ人を、今日に至るまで、許せないでいる人が大勢いる。その人たちは、ユダヤ人についていいふらされた愚にもつかないことがらを信じきっている。ユダヤ人をまた迫害し、苦しめることができるようになるのを、ひたすら待っている人さえいる。
 ユダヤ人を好まない人は大勢いる。ユダヤ人はなんとなくなじめなくて、気味が悪いという。なにもかも、悪いことはみな、かれらのせいだと信じこむ。それは、ただ、ユダヤ人をよく知らないからなんだ!」
 ぼくたちは熱心に聞きいっていた。しーんと静まりかえって、ノイドルフ先生の靴のきしむ音がきこえるほどだった。みな、先生の顔を見つめていた中で、フリードリヒだけが、前においた自分の手をぼんやり眺めていた。
 「よく、ユダヤ人は抜け目がない、悪ぢえにたけていると、非難する!
 しかし、どうしてかれらがそうならないであられよう?
 痛めつけられ追いたてられはしないかと、常に恐れていなければならない者は、それでも堂々と胸をはれる正しい人間でいようと思えば、非常に強い精神を持たざるをえなくなる。
 ユダヤ人は金銭欲が強いとか、人をだますなどとも、よくいわれる。だが、そうならないでいられるだろうか?
 ユダヤ人は、何度も何度も財産を強奪され、没収された。また、持っているものすべてを残したまま逃げなければならなかった。いざという場合、命をあがない無事を買いとることのできるのは、お金以外にないことを、かれらはその経験から身につけたのだ。
 しかし、こういうひどいユダヤ人嫌いたちでさえ認めなければならない点が、ひとつある。ユダヤ人は、有能だということだ!
 有能な民族だからこそ、二千年にわたる迫害にも耐え抜いてきたのだ。
 ユダヤ人は、その居住国の人たちより、大きい、よい仕事をして、次第に尊敬を勝ちとり高い評価を得てきた。多くの偉大な学者や芸術家がユダヤ人だった。現在でもそうだ。
 ユダヤ人を軽べつするのを、もしきみたちがきょうにでもあすにでも見聞きしたら、次のことをよく考えてほしい。ユダヤ人は人間だ。われわれとまったく同じ人間なんだ!」


(ハンス・ペーター・リヒター、上田真而子訳『あのころはフリードリヒがいた』「先生(一九三四年)」106-108頁、岩波少年文庫

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歴史から学ぶことは大事なことであって、

過去の悲惨な歴史には、ボクらの責任ではないけれども、しかし、未来には責任がある。

歴史と正しく向き合い、「今」を見つめることは、より良き「明日」を築くことに繋がる。

この世から、「悲惨」の二字をなくすためにも。


sp,
なにやら名古屋のエライさんが、問題発言をしたそうですが、社会的立場のある人が、根拠のないことを言ってはいけないし、
なにより、中国は、文化・芸術、文明等をもたらしてくれた国で、日本は感謝しなければならない国。
その大恩ある中国に対して非道な侵略、戦争を仕掛けにいった日本の過ちを受け止めなければならない。
一般市民を巻き込んだかどうかというそんなレベルの話ではなく、そもそも戦争が間違ってる。その過ちを犯した日本。ということで、これからも日本はより一層、平和を求め抜く国であってほしいと思います。

先哲は、第3次世界大戦の危機が危ぶまれる中、命をかけて、日中国交正常化提言を発表しました。
世界平和の実現のためには、中国が大きな影響力をもつと見て、政治やお金などの問題は度外視し、一市民として、一人の人間として、大恩ある中国と手をとりあった。

現在、ボクらがのほほんと暮らしていられるのも、先哲たちの決意と行動があってこそ。
その架け橋に傷をつけるようなことがあってはならないと強く思います。


あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520))

あのころはフリードリヒがいた (岩波少年文庫 (520))