はじめに。。。


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天地には大徳あり 君父には至恩あり 徳に報ゆるに心をもってし 恩を復すに身をもってす 此の日再びし難く 此の生復びし難し 此の事終えざれば 此の身息まず

 (吉田松陰

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新米小学校教師のブログ。

高校卒業後、一般企業へ就職。
2年後、一度諦めた教師の夢を再び目指し、通信教育課程で大学卒業と同時に教員免許を取得。
平成24年4月、講師として小学校に勤務。
平成27年8月、5度の挑戦を経て、教員採用試験に合格。
平成28年4月、新任として新出発。
平成30年3月16日、入籍。
平成31年4月25日、娘(一華)誕生。


「英知を磨くは何のため 君よそれを忘るるな」
“何のため”という目的意識をもって、教育現場へ!

バスケ、読書好き男子。
たまには最高の音楽に包まれて、愛車でドライブ。


Twitter:@mind1118

よろしくどうぞ。

一華を見て春を推せよ

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一渧(いったい)をなめて大海のしを(潮)をしり一華を見て春を推せよ

【一滴の水をなめて大海の塩味を知り、一輪の花を見て春の訪れを察しなさい】

 

 

またまた、お久しぶりです。年が明け、年度も変わり、そろそろ年号も変わりそうです。

平成が終わろうとしているこの時。

我が子が無事に生まれました。

 

4月20日(土)が予定日でしたが、20日は全く陣痛がなく、予定日を過ぎました。

22日(月)、検診に行き、今後の予定を産科医と相談。23日(火)から入院し、誘発分娩の方向で、出産に向かうことに。

23日(火)、バルーンを入れてみました。今まで以上に痛みが強くなってきていて、陣痛につなげようとするも、この日は、特に何も起こりませんでした。

この日から、家庭訪問期間でした。家庭訪問を終え、病院へ。

24日(水)、朝4時ごろ、痛みの感覚が短くなってきて、自然の陣痛が来たみたいで、自然分娩でいくことに。昼前に、職場を抜けて病院へ。午後から家庭訪問なので、一度職場に戻りました。まだ出産せず、嫁も一旦病室へ戻りました。

陣痛が収まってしまうと、産まれないないので、なんとか陣痛が続くように、廊下を歩き回っていたそうです。

家庭訪問を終えて、病院へ。陣痛は等間隔で起こっているようでした。深夜まで病院にいましたが、今夜も産まれる様子はなかったので、一度帰宅。

日付が変わって25日(木)、3時半ごろ、破水したとの連絡が。痛みも増してきていると。急いで用意し、まずは職場へ。授業の補欠体制を整え、教頭にメモ書きを残し、病院へ。

分娩室で、痛みに耐えている嫁がいました。嫁のご両親も入院時から様子を見てくれていました。この時も、早朝から連絡を受け、かけつけてくれました。

が、義母曰く「まだ時間かかるから、学校へ行きな」、「(学校の)子どもたちも待っとるから、朝は学校に顔を出しな」と。

痛みに耐える嫁を横に、悩みましたが、一旦仕事へ。まだ6時ごろだったので、勤務時間には間に合いました。

教室で子どもたちを迎え、1限目を終え、職場の先生方にも声をかけていただき、病院へ向かうことに。

子どもたちにも「今日生まれるの?」と、昨日から気にしてくれていました。

10時過ぎ、病院へ到着。子宮口は、ほぼ全開となっていて、赤ちゃんの頭も触れるくらいに下りてきているようでした。あとは、恥骨という一番狭いところを通る段階にきている時でした。横向きになって、等間隔で来る痛みに耐える嫁の横で、僕は、声をかけながら汗を拭いたり、お茶を飲ませたりしていました。嫁は、喋る余裕がなく、身振り手振りで、何をしてほしいのか、してほしくないのかを伝えていました。

しかし、なかなか赤ちゃんが下りてこなくて、時間だけが過ぎていきました。体制を変えて、上体を起こし、座るようにしてみたりしましたが、痛みだけが続き、赤ちゃんが下りてくることはありませんでした。

赤ちゃんが生まれるには、もっと強い陣痛を起こす必要があるとのこと。そのために、陣痛促進剤を入れるか、それとも帝王切開か。判断を迫られました。僕は、横で嫁の判断を待つだけでした。

嫁が出した答えは、帝王切開手。

すぐに用意してもらい、説明を受け、サインもしました。

14時から手術ということで、職場に連絡し、午後からもお休みをいただくことに。先生方や子どもたち、保護者の皆様にもご迷惑をおかけしました。

14時、嫁は、痛みに耐えながら、手術室へ入っていきました。

僕は、廊下で待つことに。

 

14時28分。

我が子の誕生。手術室の扉に耳を近づけると、かすかに泣き声が聞こえてきました。

15時過ぎ、保育器に入った我が子と対面。帝王切開での出産となり、赤ちゃんは、うまく呼吸ができず、とても速い呼吸になっていました。

手も足もとても小さく、不器用に動かしていました。指は長く、爪もきれいでした。

目をきょろきょろしていて、僕や、おじいちゃん、おばあちゃんたちを見ていました。

嫁も、回復室で落ち着いていました。

夜には、赤ちゃんも保育器から出ることができました。

めちゃくちゃかわいい。そりゃ、誰だって親バカになるよな…と思いました。

 

2019年4月25日。

特別な日になりました。

一児の父となり、我が子をもつ保護者の方々の「我が子に対する心情」に少しでも近づけられるのではないかと思います。

 

これから、忙しい日々が待っていると思います。

まだまだ未熟な父親ですが、立派な父親となれるよう益々頑張っていきます!

 

 

我が子の名前は、「一華」(いちか)です。

周りの人たちに春の訪れを感じさせるような、明るい温かな人に。

どんな寒い冬でも、必ず希望の春はやってくる。

この子がいれば、周りがパッと明るくなるような人に。

この子にしかない使命の花を咲かせていくように。

 

『一華を見て春を推せよ』

 

 

 

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お久しぶりです。【報告】

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こんばんは。

今年に入って、2回目の更新。2018年、半年以上が過ぎました。

2018年は、まだ3カ月残っていますが、いろいろありました。

 

4月に年度が代わり、今年度は、6年生の担任をしています。

初めての6年生担任。卒業に向けて、総仕上げの年です。とことん子どもたちと向き合い、学力はもちろん、逆境に負けないチカラ、差別に負けないチカラ、大切な人を大切にできるチカラをつけて、卒業を迎えたいです。

プレッシャーが、半端ないですが。

今週末、いよいよ修学旅行です。先日、授業参観で、修学旅行の事前説明会&子どもたちの事前報告会をしました。子どもたちは、とても楽しみにしています。事前学習も進め、しっかりと目的やグループ目標なども子どもたちが考え、自分たちのチカラで修学旅行を大成功させてほしいと思います。

そして、送り出してくれるおうちの人たちに感謝の気持ちをもちながら。

 

 

そして、私事ですが・・・。

2018年3月16日に入籍しました。

結婚式は、5月3日に親族のみで行いました。

結婚を決めたのは、2017年の年明け。1年後に結婚しようと決めていました。

1年が経って、2018年の3月を迎えようとした頃、いろいろなことがあり、心身ともにへこむこともありましたが、なんとか入籍し、式も挙げることができました。

ゆっくり時間をかけて準備できなくて、バタバタした中での結婚式でしたが、当日は、決意を固める素晴らしい式になりました。結婚式当日も、ケンカがあったり大変でしたが・・・。

 

3月末から2人で暮らし始めました。

 

そして、8月。

嫁の妊娠が分かりました。

つわりがだいぶひどくて、においや味に敏感になり、体調が不安定な日々です。

そして、僕は、となりでどうしていいのやら、戸惑う日々。

洗濯や、食器を洗ったり、そうじをしたり・・・。できることをやっています。料理はできませんが・・・。家事って大変なんだなと、今更ながら実感しています。

そして、母子共の健康と成長を祈ることができること。

 

妊娠が分かってから、『コウノドリ』(鈴ノ木ユウ)を読み始めました。

勉強になります。読んでいくと、いろいろな症状、事例があることが分かり、不安になることもありますが、勉強になりますし、出産の喜びも感じられます。産科医の現場や、葛藤なども描かれています。

出産に「絶対」安全はないですけど、どんな状況になっても、環境や自分の弱い心に負けることは「絶対」にない。困難は、「絶対」に乗り越えられるとの決意は持ち続けたいです。 

 

 

仕事も、家庭も、大きな勝負となる年になりました。

「栄え光っていける年」に、と本年のスタートに決意をしました。

自分一人ではなく、周りの人たちも含め、「栄え光っていける年」にしていきたいと、もう一度決意をして、明日から出発していきたいと思います。

 

 

次の更新は、いつになることやら・・・。では、また。

 

 

ps,

非常に強い台風が接近中です。

今年は台風が多いような気がします。みなさんも、気をつけましょう。

 

 

 

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栄光の年

https://www.instagram.com/p/BdhUx8anesM/

 

 

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 わたしは、このほかには、教師不信の「暴力団」「質屋」の保護者とも意気投合したことがある。暴力男だと、「昼間から暴力団の家に出入りしている教師がいる」となるが、暴力団の保護者の子どもの家庭訪問ならしかたないだろう。

 教師はあらゆる手段を尽くして、子どものために働くものだからだ。

 人とつきあうことは、教師にとって避けては通れない仕事である。教育は人とのかかわりの仕事だからだ。それゆえ、人との交わり能力が強く求められる。

 だが、すぐにはうまくいかない。例えば、暴力団の保護者とは、簡単には話し合えないだろう。話し合えるようになるには、教育にはかかわりのない、一見、むだと思えることを、機会に応じて、いろいろとやってみて、さまざまな経験を蓄積するしかない。

 私は、たまたまパチンコを知っていたので、あの母親とも意思が通じ合えた。「釘師」という言葉も違和感なく理解できたし、幼い子どもの手を引いた父親が、全国を渡り歩き、父親が打ち直す深夜の店先の一画で、眠りこんでいる幼子の姿も想像できた。

 パチンコという経験があったればこそである。そういう、教育には一見関係のない見聞や経験が、必ず教師の人格を耕し、どこかでいつか、教師の役に立つものである。その意味では、教師にとって行往坐臥、すべてむだな経験はないのである。子どもたちの生活背景は無限だからである。

 教育とはそういう世界なのである。そういう現場のことも知らずに、「けしからん」とはなにごとだ、と思う。

 机の前に座って、命令すれば教育が成立するとでも思ったら大間違いである。

 

 

(家本芳郎 『〈教育力〉をみがく』218-220頁、寺子屋新書)

 

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新年、明けましておめでとうございます。

本年も、よろしくお願いします。

今日から仕事が始まりました。3学期の準備です。 

来週から3学期がスタート。怒涛の日々が始まろうとしています。

 

1年の中には、いくつかの節目があり、その節目ごとに、自身の目標を振り返り、新たな決意に立つことができます。

新年を迎え、もう一度、目標を明確にし、着実に前進していきたいと思います。

2018年は、自分自身としても非常に重要な年になります。

 

箱根駅伝は、すべて見ていませんが、自分の限界に挑む姿こそ、最も輝ける瞬間だと思います。その人こそ、真の「栄光」を掴みとれるのでしょう。

自分の限界に挑み、自身を心から、「栄え光らせて」いける1年にしていきたい。

限界に挑戦し続ける。そして、自分自身や、周りの人が「栄え光って」いけるうような年にしていきたい。 

 

 

しばらく休んでいると、体が怠けます。

たった2週間ほどでしたが、ずいぶん子どもたちと会っていないような気分です。

3学期、新たに挑戦することもあるかと思いますが、これまで同様、地道に泥臭く実践を積み重ねていきたいと思います。

子どもたちの生活背景は無限。学校にいるときの姿だけを見ていても、そこには限界があります。

これからも、保護者と共に子育てをしていくスタンスを大切にしていきたい。

 

 

 

教育力をみがく (寺子屋新書)

教育力をみがく (寺子屋新書)

 

 

 

https://www.instagram.com/p/BdhVSvuHjfS/

戌年ということで、シュシュ登場。

 

金では買えん財産や

https://www.instagram.com/p/BdU46eZHmEp/

 

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「勉強するて、何のために」

 どこまで本気なのか、打診してみたいという気持ちもある。

「何のためにって、自分の向上のためにです」

「秀ちゃんは、本読むだけで成長でけると思うてるの」

 秀は、ちょっとむずかしい表情になり、鼻の先に皺を寄せた。それがとてもかわいらしく見えた。

「ええか秀ちゃん、本ばかり読んで、世の中から遠ざかったら何もならへん。本の虫になって、常識のない人間になってはあかんで。生きた学問せなあかん」

「生きた学問て」

 行儀よく姿勢を正し、秀は小首をかしげた。

「自分だけ知識得ても、しまいこんでしもて社会に役立てんようではあかんのや。人間て、人の間て書くやろ。他人さんのおかげ蒙って生きてる。自分だけやのうて、もっと人のことも考えなあかん」

 秀は浅子の話を熱心に聞いている。亀子は、何も言わずにおとなしく坐っているだけである。

「日本で初めての女子大学校創立するために、うちも働かしてもろてます。寄付金集めるために、えらい時間と労力使うてな、加島屋の御寮はんは阿呆やないかて言うてる人もおる。秀ちゃんも、そう思うか」

尊いことだと思います。一文の得にもならなくても、女子教育のためにという目的がはっきりしていますから」

「うちは商人やから、多少は損得も考える。金の損得やないで。得にも大きい利と小さい利があるのや」

 浅子の話に興味があるようで、秀の目が熱っぽく輝いている。お茶にも手をつけずに聞いている。

「女子大学校創立に走り回って、利益にならん思うてる人も多い。しかし日本の国動かしてるような人にぎょうさん会うて、知り合いになることがでけた。大きな得したことになる。金では買えん財産や」

 たった二人の若い聴衆を前に、浅子は熱弁をふるった。

「蔵に腐るほど金あるのに、寄付など、びた一文出さんていう家もある。自分のことには金かけるのに、公益のためには出せんいうのや」

「生きた学問て、机に齧りついているだけではなく、いろんな人に会って、いろんなものを見て、視野を広めることなのだと分かりました」

「そうや、それが自分磨いて、人間つくっていくことになるんや」

 聡明な秀は、浅子の言おうとするところを的確にとらえている。

 

 

(古川智映子『土佐堀川 広岡浅子の生涯』234-236頁、潮文庫

 

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女性実業家として活躍した広岡浅子の生涯を描いた小説を読みました。

何度も逆境に立たされますが、強い信念と、行動力で乗り切っていきます。明治維新の激動の時代、先が見えない時代に正しい判断をするためには、それ相当の知識も必要ですし、今の現状を正しく見つめ、打開策を見つける知恵も必要。

そして、思い切った決断力。また、周りを説得する粘り強い行動力。

どんな状況になろうとも、決して諦めない強さがありました。浅子の信念と行動力で、周りの人たちもよき理解者となり、協力者が増えていきます。

病魔をも、つけ入る隙のないぐらい怒涛の日々を走り抜けた人生。

女子教育にも力を注ぎ、人材育成にも奔走しました。

 

NHK朝の連続テレビ小説でもやっていましたね。僕は見ていませんが・・・。

 

 

忙しい毎日の中で、なかなか読書が進まなかったですが、本日『土佐堀川 広岡浅子の生涯』を読了。

不屈の「信念」と、「行動力」

読み終わって、この二つが印象に残りました。幾度となく逆境を乗り越える浅子ですが、本人の信念と行動力ももちろんですが、それだけでなく、この二つによって、周りの人たちの支えと協力も、逆境を乗り越えるために大きな力となりました。

「本気の一人」が立ち、それに続く同志。時代を変える力は、いつの時代も、この法則だと思いました。

よき同志は、金では買えん財産や。

時間はかかりましたが、おもしろく読めました。

 

さて、2017年も、あと1日。

今日は大掃除をして、部屋がスッキリ。

いい年を迎えたいと思います。

では、よいお年を。

 

 

文庫版 小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯 (潮文庫)

文庫版 小説 土佐堀川 広岡浅子の生涯 (潮文庫)

 

 

 

 

 

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「自分にできないこと」を「自分に代わって引き受けてくれる仲間」に対しては深い敬意が示され、出来る限りの支援を行うことが必須

https://www.instagram.com/p/BZ_PqCKHnQA/

 

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重ねて申し上げますけれど、競争を強化しても学力は上がりません。少なくとも、今の日本のように閉じられた状況、限られたメンバーの間での「ラット・レース」で優劣を決めている限り、学力は上がりません。下がり続けます。

学力を上げるためには、自分たちのいる場所とは違う場所、「外」とのかかわりが必須です。『荒野の七人』では山賊が、『大脱走』ではドイツ軍の看守が、主人公たちの活動を阻んでいます。だからこそ「自分にできないこと」の検出に真剣になるのです。その欠陥を埋めておかないと、「外」を相手にしたプロジェクト(山賊退治、捕虜収容所からの脱走)は成功しないからです。ですから、当然、「自分にできないこと」を「自分に代わって引き受けてくれる仲間」に対しては深い敬意が示され、出来る限りの支援を行うことが必須になります。

本来、子供たちに最初に教えるべきなのは、「このこと」のはずです。どうやって助け合うか、どうやって支援し合うか、どうやって一人では決して達成できないような大きな仕事を共同的に成し遂げるか。そのために必要な人間的能力を育てることに教育資源はまず集中されるべきでしょう。

しかし、今の日本ではそうなっていない。

むしろ、どうやって仲間の足を引っ張るか、どうやって仲間の邪魔をするか、どうやって一人だけ他人を出し抜いて「いい思い」をするか、そういう「えげつない」作法を子供の頃から教え込まれている。「競争に勝て」というのは要するにそういうことだからです。親や教師があからさまにそういう言葉づかいをしなくても、子供にはわかります。そうやってきた結果、「こういうふう」になった。

だったら、もう「そういうこと」はやめる潮時でしょう。

 

内田樹 『街場の教育論』「第5講 コミュニケーションの教育」108-109頁、ミシマ社)

 

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もう2017年も終わりそうです。

早いです。今年もブログを更新するヒマもなく、時が過ぎていきました。

 

昨年の3年生担任から、まさかの4年生担任ということで、単学級の小規模校では珍しい持ち上がりでした。

新しい学年、新しい教室、新たな気持ちでスタートする新学期に、また同じ担任の先生ということで、子どもたちはがっかりしたのではないかと・・・。保護者の方も、どう感じたのか・・・。しかし、子どもたちや、保護者から、嬉しいお言葉もいただきました。それを励みに、1年間やってこれました。

 

4年生でも、さまざまなことに挑戦できました。子どもたちの成長を実感できましたし、それを子ども自身や、保護者の方々が実感してくれていることがなによりの喜びです。

2年連続担任というのは、正直やりにくいなと思うこともありましたが、今となっては、全然やりにくいことはなく、子どもたちも落ち着いていますし、保護者の皆様も協力的なので、学級でさまざまなことに取り組むことができました。

クラス会議や、さまざまなプロジェクトを通し、子どもたちが話し合い、自分たちで考え、決定し、行動に移す姿が見られました。

また、授業での発表の仕方も工夫し、自主的に学ぼうとする力を伸ばしてきました。まだまだ発展途上ですが、これからの成長に期待です。

 

拙い実践に、保護者の皆様が温かく見守り、支えてくださり、なんとかやってこれました。子どもたちもよくついてきてくれました。感謝です。

 

まだ、3学期が残っていますが、さらに鍛え、子どもたちの成長を実感してもらえるようにがんばります!

 

学級通信は、2学期終了時点で、180号となりました。昨年度を上回るペース…。今年も製本をしようと計画中。

学級と家庭をつなぐ大切なアイテムです。保護者の方が楽しみにしてくれていることも、発行し続ける原動力になっています。

 

 

 

街場の教育論

街場の教育論

 

 

https://www.instagram.com/p/BbhOc2gHJOJ/

広島旅行(2)

https://www.instagram.com/p/BX4GlOLA_Z4/

 

8月17日。広島旅行2日目。

仙酔島で迎えた朝。青い空、青い海、まぶしい太陽の光。これぞ夏休みという雰囲気いっぱいの中、船で仙酔島をあとにしました。

バスで福山駅へ。新幹線で広島市に向かいました。

目的地は、原爆ドーム。人生で初めて生で見ることになります。一度は行ってみたかった場所です。

 

広島駅に着いたら、まずはお昼ご飯。広島といえばお好み焼きということで、

『麗ちゃん』という歴史あるお店に行きました。『麗ちゃん』のすぐ隣には、お好み焼きのお店が3店舗くらい並んでいましたが、行列ができていたのは、この『麗ちゃん』だけでした。

https://www.instagram.com/p/BX8DZuLAJWc/

 

運よくカウンター席に座ることができました。目の前で焼いてくれます。

いわゆる「広島風お好み焼き」を初めて食べましたが、とても美味しかったです。広島市の人からすれば「広島風」ではないのでしょうが。

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手際よく焼いていきます。一連の流れが素晴らしい。無駄がない。

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その後、路面電車で移動。路面電車に乗ったのも人生初でした。

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そして、目的地の原爆ドーム到着。

駅から歩いてすぐ、原爆ドームと対面しました。

見た瞬間、鳥肌が立ちました。ここで、原爆が投下され、一瞬で人々の命、動物や草木の生命をも奪い去ったと思うと、恐ろしい。絶対に忘れてはいけない歴史。

https://www.instagram.com/p/BX8EDWKAzWw/

修復されているところもあるようです。壊れないように、支柱のようなものが見えます。

レンガのところが当時のままのようで、ほんのちょっとしか残っていないようです。

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平和記念資料館も見学。

世界中の人たちに見てほしいと思いました。

戦争ほど悲惨なものはないと感じるはずです。

戦争の悲惨さを感じるとともに、未来のことも考えないといけないと思いました。負の感傷に浸っているだけでは、生命力を奪われます。

過去から学び、希望を生み出さなければ。

 

 

 

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広島駅が新しくなっているそうです。初めて来たので以前の様子が分かりませんが…。

今、どんどん新しいプロジェクトも進行中のようです。

知らない世界がまだまだたくさんあって、おもしろい旅行になりました。

 

 

いよいよ、9月1日から新学期。

怒涛の日々が待っています。