僕の教えたことが、それが誰かから教わったことだと気付かないくらいに、生徒たちの中に浸透していればいい

 

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  教師と生徒が実際に接するのは、ほんの数年、それも一日のうちのほんの数時間かもしれません。だけど、この世に泳げない人がいるということに思いが及ばないくらい、当たり前のように今僕の身に付いていることは、かつて、先生に教えていただいたことです。しかも、先生は事故が起こった翌年であるにもかかわらず、「万が一のときのために」とかそんな押しつけがましく、子どもを不安にさせるようなことを一言もおっしゃらずに、水泳は楽しいものだとして教えてくださいました。

  僕も含め、見返りを求めている教師はたくさんいると思います。「先生のおかげで、××大学に合格しました」なんて言われると、みんなに自慢したいほどです。逆に、部活動の生徒が賞をとった際に、まるで自分たちだけでとったような言い方をしていると、誰がフォローしてやったんだ、とムッとしてしまったこともあります。

  僕は本当に小さい人間です。

  わざわざ、「先生のおかげで」なんて感謝されなくてもいい。僕の教えたことが、それが誰かから教わったことだと気付かないくらいに、生徒たちの中に浸透していればいいなあと思います。

 

湊かなえ『往復書簡』「二十年後の宿題」152-153頁、幻冬舎文庫

 

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3月19日、卒業式が無事に行われました。

6年生は、理科の授業を担当させてもらっていました。1年間という短い時間でしたが、立派に育った姿、まだまだ幼さが残る姿、卒業式での6年生の姿を見て、こみあげるものがありました。

1年間の成長は大きいですね。

在校生も、次の学年に上がる準備ができているようです。

 

来年度、現在の学校に残るのか、異動になるのか、まだはっきりと決まったわけではありませんが、どこであろうと自分の使命を果たすまでです。

見返りを求める教師でなく、共に喜び合える教師でありたい。

「利他100%」は難しい。というか、凡人には不可能であると思います。

「自分も他者も共に喜ぶ」を本当の「喜」というのでしょう。

 

 

 

往復書簡 (幻冬舎文庫)

往復書簡 (幻冬舎文庫)